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コラム 箱式石棺の遺物

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 亀梨で発見された箱式石棺は地元の大きな関心を集め、調査後に原位置に埋め戻されている。棺内の遺物は、箕輪公道氏が撮影した写真によると、東枕の遺体の左側に直刀一本と鉄鏃の束が置かれていた。(直刀が右側にあったとする「史料編Ⅰ」の記述は誤り。お詫びして訂正します)。加えて八点の玉類が出土しているが、出土位置は不詳。直刀の長さは現存で一〇八センチ、切っ先の付近つまり足元近くに鉄鏃の束があった。
 鉄鏃はサビついてひと固りになっており、全部で二九本、その中には茎部の末端に巻きつけた紐の痕が残っているものが二、三本みられる。矢柄に装着した部分である。矢柄は残っていない。これらの鉄鏃の中に茎部に布目痕がついたものがある。サビの表面にくっきり見える布目の粒子から布の種類が分るかも知れない。矢を束ねて布で包んで埋納したのである。矢を埋納するからには弓も入れたものと思われるが、それは出土しなかった。玉は管玉六、棗玉二の八点。管玉の一点はヒスイ製という。他は碧玉製。穿孔は片側から行っているが、偏ったり曲ったりしており粗雑なつくりで、また、長さや太さも不揃いである。棗玉は軟質で、二点とも素材は埋れ木、うち一点は割れている。この八点の玉は首飾りとして遺体に供えたものだが、玉のつくりの悪さからみて、生前の愛用品というより、埋葬に際して儀礼的に供献した感が深い。
 遺体は部分的にしか残らなかった。この地の黒色土としてはむしろよく残った方である。頭骨の一部と大腿骨、下肢骨の一部が遺存。解剖学上の判定は、「熟年の女性」とのことで、古墳時代人の形質が観察されるという。遺物の面では、武勇を象徴する武器の方が目立っている。その点に少し異和感がある。

47図 亀梨・箱式石棺出土の鉄鏃