鉄鏃はサビついてひと固りになっており、全部で二九本、その中には茎部の末端に巻きつけた紐の痕が残っているものが二、三本みられる。矢柄に装着した部分である。矢柄は残っていない。これらの鉄鏃の中に茎部に布目痕がついたものがある。サビの表面にくっきり見える布目の粒子から布の種類が分るかも知れない。矢を束ねて布で包んで埋納したのである。矢を埋納するからには弓も入れたものと思われるが、それは出土しなかった。玉は管玉六、棗玉二の八点。管玉の一点はヒスイ製という。他は碧玉製。穿孔は片側から行っているが、偏ったり曲ったりしており粗雑なつくりで、また、長さや太さも不揃いである。棗玉は軟質で、二点とも素材は埋れ木、うち一点は割れている。この八点の玉は首飾りとして遺体に供えたものだが、玉のつくりの悪さからみて、生前の愛用品というより、埋葬に際して儀礼的に供献した感が深い。
遺体は部分的にしか残らなかった。この地の黒色土としてはむしろよく残った方である。頭骨の一部と大腿骨、下肢骨の一部が遺存。解剖学上の判定は、「熟年の女性」とのことで、古墳時代人の形質が観察されるという。遺物の面では、武勇を象徴する武器の方が目立っている。その点に少し異和感がある。
47図 亀梨・箱式石棺出土の鉄鏃