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五畿七道と国郡里

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 中央政府は律令制下での全国を掌握するために、五畿七道に地方を区分していた。五畿(畿内)とは政治の中心地で特別地域である大和・摂津・山城・河内・和泉の五力国である。そのほかの国は東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の七道に属していた。「道」とは直接には道路を指すものであるが、地域の行政区分をも表していた。地方行政の単位は「道」を中心にしていたと考えられる。東山道には『延喜式』によれば下野国を含めて、近江・美濃・飛騨・信濃・上野・陸奥・出羽国の八か国が属していたと記されている。
 国は大国、上国、中国、小国に区分されており、下野は上国にあたる。道の下には国が、国の下には郡が、郡の下には五〇戸単位で里が編成されていた(国郡里制)。
 国・郡・里にはそれぞれ国司・郡司・里長とよばれる役人が任命されていた。国司には守・介・掾・目の官位の役人が中央政府から四年ごとに派遣されたが、郡司には地方の有力豪族が、里長には里の中の有力者が選ばれた。里は後に郷と変更されていく。