仏教を奨励した聖徳太子と蘇我馬子は、莫大な国費をつぎ込んで飛鳥寺・四天王寺・法隆寺等の建立を開始した。日本最初の寺院である飛鳥寺は、崇峻天皇元年(五八八)に蘇我馬子が飛鳥の地に建立を始めたが、建物の完成したのは八年後の推古天皇四年(五九六)一一月のことであった。しかし飛鳥寺の金堂に飛鳥大仏が安置されたのは、竣工からさらに一〇年後の推古天皇一四年(六〇六)のことであった。
実に一八年の年月を経ての完成であった。飛鳥寺の建立には百済からの渡来人である寺大工・瓦職人・画家等多くの技術者が携わった。この寺院は当時の日本の建築水準をはるかに越えるもので、複雑な構造で壮大華麗な建造物であり、朝廷の強大な力を示すものであった。推古天皇二年(五九四)には朝廷から「三宝興隆の詔」がだされた。この詔は、朝廷が本格的に仏教を受容する方針を示したものであり、これ以降、貴族・豪族は競って寺院(私寺)の建立を開始したのである。