本町では古代になると遺跡数は増加する。町域の地形は、東部の喜連川丘陵、中央部の五行川低地と小高い氏家・仁井田台地、西部の宝積寺台地と麓の石末台地とに大別され、それぞれの地形面に歴史時代の遺跡が点在している。そのなかで、発掘調査がなされ、ある程度内容の判明するものは、上高根沢地内の上の原遺跡、金井遺跡(旧名称西根B遺跡)、それに砂部遺跡である。上の原遺跡では八世紀前半の竪穴住居跡四軒と掘立柱建物跡一棟、金井遺跡では、八世紀後半を主体とする竪穴住居跡八軒と掘立柱建物跡四棟が見つかっている。砂部遺跡は、九世紀代を中心とする集落跡であるが、住居跡や建物跡の数が多く、またそれに伴う遺物も豊富である。この成果によって古代のムラの様子を見てみよう。
砂部の古代ムラからは、累計で竪穴住居跡七八軒、掘立柱建物跡四九棟、柵列一〇基、土坑四〇基、井戸跡二基、竪穴状遺構八基、溝跡五条などが見つかっている。ムラの存続時期は、九世紀代を中心に、八世紀後半から一〇世紀前半のおよそ二〇〇年間である。住居跡の配置は特に偏りはなく、調査区全域に分布している。それにくらべ、特に目立った分布状況を示すのは掘立柱建物跡で、調査時にⅠ区とした北東部、井沼川沿いの約五〇メートル四方に三七棟が集中している。
一般の集落にあっては、掘立柱建物跡は数棟の場合が多いが、砂部ムラでは五〇棟近く、しかも一カ所にまとまっている状況は、なにか特別な性格をおびたムラとする考えもおこさせる。以下、住居跡や掘立柱建物跡を具体的に見てみよう。