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断片の文字

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12図 墨書土器と硯

 情報伝達の手段としての文字。古代においては、文字を土器に書き込むことがある。墨書土器といい、文字(文献)資料としても活用されている。
 砂部遺跡の文字資料は墨書土器九六点に加え、土器焼成前のヘラ書き文字六点、焼成後のヘラ書き文字一点がある。土器の種別では、土師器六二点、須恵器四一点、器種は杯が九八パーセント以上を含めている。文字が記された位置は、土器の胴体の外面八七点、底部の外面一七点のほか、底部の内面四点である。
 書かれている文字は単字句(一つの文字)がほとんどで、「上」、「告」、「宅」、「楊」、「山」などが多数認められる。特に六五号住居跡では「告」が六点、四二六号住居跡では「宅」が四点出土している。二字が記される例には、「中万」、「海山」、「九万」等がある。
 墨書土器は都城の跡、寺院跡、郡衙跡などから多数見つかっている。
 集落から単字句が出土するのは、東国の村落のひとつの特徴でもある。都城や役所跡などでは、施設や官職名、人名の表記が目立ち、意味が判明するものがある。しかし東国の集落では、単字句であるがゆえに文字どおり断片的で、その字の意味するところが解明できない場合が多い。砂部遺跡で注意されるのは「宅」である。特に四二六号住居跡が壁柱穴をもつ比較的大型の住居であることは「宅」の表記と関連し、集落の性格を暗示している可能性がある。
 「山」、「万」の字は墨書土器のほかに、焼成前のヘラ書きにもある。墨書きという行為は土器が使われる場所でのことであり、事実、砂部遺跡から硯六点(円面硯四、須恵器転用硯二)が出土している。それに対して焼成前ヘラ書きは製作地での行為である。製作地については残念ながら明確にしえないが、土器を作る段階と使う段階で同じ文字を記入することは、土器の発注から焼成、納品までそれぞれの工程が関係のある集団同士であったのであろう。
 さて、単字句の墨書は、これまでの研究で、集落全体若しくは一単位集団に共通する祭祀行為に使ったものとする説がある。また、東国の集落では広い範囲でいくつかの集落で共通の文字(例えば、砂部遺跡でも見られる「井」、「上」、「万」など)があり、逆にいえば、限定されたいくつかの文字を記入していたことになる。墨書土器の存在は、古代において文字を理解する人々、つまり識字層が拡大したという解釈がこれまでなされてきたが、増加する資料を多角的に分析した結果、「在地の民衆が会得した文字を自在に記したのではなく、ほとんどの民衆は文字を文字本来の用途として知りえなかったのではないか、」とする考え(高島英之 一九九四)も傾聴すべきであろう。