以上、古代の砂部遺跡の遺構、遺物について述べてきた。冒頭で、この遺跡は「特別な性格をおびたムラ」と記したが、具体的にはどういうムラだったのであろうか。
この調査の担当者の一人、仲山英樹は「宅」の墨書に注目した。この文字が出土したほかの遺跡を検討した結果、大型住居や規模の大きな掘立柱建物跡が多いという、砂部遺跡との類似性を指摘する。そして文献に登場する「宅」の用例も援用したうえで、「宅」は「屋」(側柱式建物)や「倉」(高床式建物)を持つ在地の富農の居宅を含む施設やその区画を指し、出挙などに係わる在地の農業経営の拠点であるとする意見に対し、砂部遺跡の掘立柱建物群はそれを裏付けるものと考えた(仲山英樹 一九九七)。
つまり、墨書土器が本遺跡の性格を端的に示している可能性が高いと考えられるのである。
文献とモノ、双方の見解から、砂部遺跡のこれらの遺構が富農の倉庫群と位置づけたが、その実体を明らかにするには、類例の増加と細かな検証作業が必要である。