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住居とカマド

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13図 カマド

 古代においても、東国の人々の家は竪穴住居であった。古墳時代と同様に方形を基本とするが、隅が丸みをおびてきたり、歪んだ形のものも見られるなど、平面形に対する規格性がゆるくなったと考えられる。規模は、一辺が三~七メートル台におさまり、三~四メートル台のものが大半を占めている。ちなみに古墳時代の大きさは、三~一一メートルとバラツキがあり、五~七メートルがやや多い傾向を示す。柱穴が四本そろったのは全体の二割程度で、多くが明確な柱穴を欠いている。柱穴同様貯蔵穴を持った住居の割合は低く、全体では一一軒で認められたにすぎない。
 規模との関連では、柱穴の明確なものは、一辺が五メートル台以上の比較的大きな家に多く、特に六メートルをこえるものには、別に壁際に等間隔で数本ずつ見られるものがある(六二号住居跡、四二六号住居跡)。壁を支える柱と推定されるもので、壁をもった住居とみて良く、何か特別な家なのだろうか。四二六号で鉄製の鉸具(後述)、六二号で「宅」の墨書土器など、遺物でも特筆されるものが出土している。
 煮炊きの場はカマドである。カマドは、家の壁に粘土などでドーム状の施設を作り、薪などをくべる焚き口、土器をすえる掛け口、家の外に煙を導く煙道などからなる。炉に比べると、熱効率に優れ、炊事は大幅に向上した。カマドは、古墳時代の砂部ムラの直後、つまり古墳時代の後期に普及してくる。奈良・平安時代においては、ほとんどすべての家に常設されている。そのうち、重複などにより壊されたものを除いて六七軒についてカマドの位置をみると、北壁が四九軒、東壁が一四軒、残りの一四軒は北と東の壁に二つある。これらの割合は東国全体の傾向からもわかるところがない。カマドも構築にあたっては工夫の跡がみられる。単に粘土等で作りあげるものが多いが、芯に甕などを伏せて使ったり、くずれを防ぐためか、焚口に切石の凝灰岩(荒川石)でアーチ状に組むという、手のこんだものもある。