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日常容器

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 この時代の日常容器は土器が主体であった。供膳具、つまりめいめいの食器は土師器と須恵器がおよそ半々であった。土師器は、素焼きの土器で赤褐色か黄褐色で文様がない。また、須恵器は、穴窯を用いて高温で焼いた灰色の硬質土器である。貯蔵具としての壷はかたく丈夫な須恵器、煮沸具としての甕、甑は素焼きの土師器が専ら用いられており、材質の特性によって使い分けがなされた。

14図 砂部遺跡・古代の土器

 古墳時代の土器は土師器がそのほとんどを占めており、須恵器は貴重品であったが、このころになると、各地で須恵器の窯が築かれ、量産されたその製品が広く流通した。土師器、須恵器ともにロクロによって作られ、切離し時にヘラや糸を使っている。最近の須恵器の研究では、粘土や混ぜ物の分析から、産地と供給地の同定が行われており、砂部遺跡の須恵器は益子地方の窯からもたらされたものが多いことがわかる。図には砂部遺跡の八世紀後半~九世紀の土器をあげた。甕には口辺部が受け口のものと、外へひろがるものがあり、前者が主体を占め、「下野型」、後者は「武蔵型」と呼ばれている。小形の甕には台が付く。最も出土量が多い坏は須恵器と土師器がある。須恵器は底部回転ヘラ切りのものが多く、糸切りあるいはヘラ削りもある。
 この器種は時期による変化が捉えやすく、新しくなるにつれて底径が小さくなる傾向がみられる。土師器にもロクロが使われ、内面は黒色にし、光沢をおびるほどミガキがかけられている。