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高根沢地内のルート

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18図 杉村遺跡(宇都宮市)発見の東山道跡


19図 町南西部の推定東山道ルート


20図 町北東部の推定東山道ルート

 河内町の釜根遺跡(ト)、日枝神社南遺跡(チ)を通過してきた東山道をそのまま北東に直線的に進むと、氏家町の南原遺跡(リ)と南那須町の厩久保遺跡(ヌ)に到達する。この区間内が町内の東山道の通過ルートと考えられる。この区間内で発掘調査により道の遺構が検出された場所はないが、今までの調査結果などを参考にして町内の東山道を推定してみると、町南西部では次の二本のルートが考えられる。
 日枝神社南遺跡を通過した東山道は、日枝神社(河内町)付近から台地を下り、鬼怒川の低地を進んで鬼怒川を渡り、白髭神社付近で再び台地に上ると考える。この区間は、鬼怒川の流れが、氏家町に入るとすこしずつ南東から南へ向きを変えて流れはじめる下流に位置し、低地と川幅がもっとも狭くなるところである。このため、渡河地点としては最良の場所であったといえる。川を渡った東山道は、宝積寺台地に取り付き宝積寺下坂上付近で台地上に出たものと考えられる。現在もこの部分には生活道路になっている坂道がみられる。
 ここから少し方向を変え、台地の西端を直進すると、町営住宅前バス停の南側から北東に入る細い畦道がある。この道からほぼ直線的に二本の道が北東方向に延びている。南側のルートは天神坂へ至り、丘陵を下り、烏山街道を進み、町立中央小学校付近より水田地帯へと続く。北側のルートは、町役場北側を通る道である。町域の中央部では明瞭な痕跡を見つけることができない。
 次にその痕跡が認められるのは、氏家町と高根沢町の町界が一直線に接するところである。この町界上に南原遺跡が位置する。この町界は以前は水路・農道として利用されていた。この町界はさらに南那須町と氏家町との町界へと続いていく。この町界上に位置するのが厩久保遺跡である。