荘園を管理するための事務所や倉庫などの建物が配置された庄家の遺構と考えられる建物跡が、117頁で記述した矢板市の堀越遺跡において発見された。それらは規則的に配置された掘立柱建物跡一四棟と竪穴住居跡三七軒である。それらは九世紀後半から一〇世紀前半に及ぶ時期のものである。このうち掘立柱建物跡は、規則的、計画的な配置で東西棟、南北棟の二種。主屋は庇の付く建物であった。建物は、建て替えた状況からみて二時期の変遷があり、規模拡張や位置の変更がなされている。遺物には灰釉陶器、緑釉陶器、墨書土器がある。
建物のうち庇を持つものは主屋と、その他は副屋・倉庫用の建物と考えられる。このような建物のあり方は官衙的な施設に共通するものであるが、遺跡の位置などから官衙遺跡とする積極的な理由にはならない。むしろ、墨書土器にある「成生庄上」の文字が本遺跡の性格を表しており、平安時代中頃の当地における荘園の経営拠点である「庄所」・「庄家」と考えられている(田熊清彦 一九九〇)。
また矢板市十三塚遺跡でも堀越遺跡と類似した計画的に配置された掘立柱建物群が発見されている。出土遺物から九世紀後半の時期であり、堀越遺跡と同様な性格を持つ遺跡のひとつとなる可能性がある。