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大野遺跡の蔵骨器

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 火葬墓には、死体を火葬にしたその場所を墓として使用する場合と、火葬にした骨を容器に入れて別の場所へ移し埋葬する二つの方法があるが、主にとられた方法は後者である。県内で確認された蔵骨器は、約二〇以上にのぼる遺跡から約七〇例を数える。その時期は八世紀から一〇世紀前半と考えられるものである。
 蔵骨器には当初から蔵骨器として作られたものと、日常什器を転用して蔵骨器としたものの両方が見られるが、県内では日常什器の蔵骨器への転用が多い。容器は土師器か須恵器で作られている。骨を収める容器には甕か壺がそのほとんどを占めるが、まれには鉢なども利用されている。蓋には蓋本来の役目とし使用されたもののほかに、高台付き皿や坏等が使用されている。
 大野遺跡出土の蔵骨器は、本町においては唯一発見されているものである。発見の状況から考えると、埋葬の方法は、他の場所で火葬にふされたのちに発見場所に納められたものである。埋葬の方法については詳細な部分は不明であるが、蔵骨器外面に炭の付着が見られることより、埋葬の時に蔵骨器外面を炭で覆ったと思われる。
 蔵骨器そのものは、須恵器の甕と蓋からなるいずれも日常什器の転用品である。火葬骨は細片のため性別や成人か小児かについては不明である。時期的には九世紀前半ごろと考えられる。本町でも九世紀前半には火葬が行われていたといえる。

22図 大野遺跡出土の蔵骨器