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今宮明神の造営

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 今宮明神は氏家氏の氏神(守護神)であり、氏家氏が支配した氏家郡の祭政の中心として祀られた総鎮守であった。今宮明神はその成立については確たる史料がなく明らかではないが、氏家氏第四代の公宗の時、もともと氏家郷の南端(氏家町古町の本社)にあったのを正安二年(一三〇〇)に現在地の馬場に遷宮し、新しい社殿の大造営が行われたことが『今宮祭祀録』に記録されている。
 以下、この記録に基づいて造営された社殿のようすを紹介すると、中央に南面して御殿(本殿)と拝殿が前後に並び、手前正面に平重門(塀重門のこと)があり、左右(東西)に回廊が巡りその回廊は本殿・拝殿を囲んでいる。平重門の手前には楼門、三の鳥居、二の鳥居、一の鳥居と続き、回廊の後方には瑞籬(竹垣)が植え込まれていた。
 そしてこれらの造営にあたって、氏家氏の主家である宇都宮氏(御屋形様)は銭五〇〇余貫文を寄進して、本殿の造営と一の鳥居の造立に充てている。そして、氏家公宗(政所)は楼門を造営し、二の鳥居は船生一家中、三の鳥居は阿久津一家中の御役として造立した。さらに氏家郡内の二四郷をはじめとする郷村に応分の負担か割り当てられていた。
 まず拝殿は、三間を舟生郷と石末村と飯岡郷の各郷村が一間ずつ負担。回廊は、間数割りに各郷村に割り当てている。西側回廊のうち、三間は青野郷(大谷)、太田郷。二間は前高野。三間は関俣郷。二間は風見郷と金枝郷。一間は有隅郷村、中高野。二間は増渕村、西宿、大麻村(上沢)。東回廊は、二間は大窪村、一間は佐々島、二間は山田郷、泉村。二間は肘内郷。二間は上平村。一間は佐貫村。二間は大宮給分。二間は比留島。一間は板橋郷。一間は寺渡戸村に割り当てている。
 さらには、社殿後方の瑞籬の植え込みは、三依、塩原が分担している。以上の記述から見ると、いわゆる氏家二四郷以外の郷村も負担を割り当てられているわけで、主家の宇都宮氏の勢力を背景にした氏家氏の支配領域の広さを物語っているといえよう。