13図 室町幕府跡(京都市上京区)
14図 室町幕府の機構
鎌倉幕府の滅亡から南北朝の分裂という激動の時代に常に時代の先端に立ち、新田氏等の他の武士を圧倒し武士の棟梁としての地位を築いてきたのが足利尊氏であった。
尊氏は建武三年一一月建武式目(尊氏が定めた政治方針要綱)を制定し、二年後には征夷大将軍に任ぜられている。名実ともに室町幕府の成立である。しかし、これら一連の行動は後醍醐天皇の強い反発を招き、以後六〇年にわたる動乱の時代を迎えることとなった。
尊氏の開いた室町幕府は、基本的には鎌倉幕府の組織を踏襲していた。すなわち、中央には将軍の下に将軍を補佐し政務全般を総括する管領、その下に評定衆(幕府の最高職で裁判、政務を合議採決)、引付方(評定衆を補佐し訴訟を採決)、政所(幕府の財政事務を管掌)、問注所(文書、記録の保管等)、侍所(治安維持、及び刑の執行)が置かれ、地方には鎌倉府、九州探題、奥州探題、羽州探題、守護を置き、それらを中央の将軍が統轄した。