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宇都宮氏挙兵

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 芳賀氏による挙兵の失敗により鎌倉府における基氏・上杉態勢は確立したが、貞治六年(一三六七)基氏が二八歳で鎌倉に没すると、翌年川越・豊島・江戸氏等の武蔵の平一揆が反上杉の兵を挙げた。この動きに呼応して宇都宮氏も挙兵し、関東は、またも騒然となった。基氏の死に乗じての上杉氏復帰後の失地回復の動きであろうが、同年六月、武州川越城に立て籠もった平一揆が上杉勢に敗れ、さらに八月から九月にかけ宇都宮城が攻められ挙兵は失敗し、この結果薩埵山合戦以後の新恩地は没収という処置が取られた。この間の高根沢氏の行動は明らかではないが、本城の宇都宮城が攻められるという状況の中で、恐らく宇都宮氏から周辺の諸城へ動員命令がなされ、高根沢地域からも多くの武士たちが合戦のため宇都宮城へ赴いたと思われる。