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コラム 板碑

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 板碑は、一般に「いたひ」「ばんぴ」と呼ばれ中世に造立された石製塔婆の一つであり、中世、特に鎌倉時代から室町時代にかけて、追善供養(死者の冥福を祈るための供養)や逆修供養(生前に仏事を行い自身の冥福を祈ること)のため造立されたものである。その造立は鎌倉時代から江戸初期までの四〇〇年間に限られており、資料の少ない中世において当時の信仰・集落・街道等を知る手掛かりの一つとなる貴重な資料である。
 材料として秩父産の緑泥片岩を使い、頭部に二本の切り込み(二条線)、碑面中央やや上部に造立者の信仰する種子(仏を像として表現する代わりに、梵字(古代インドで発達した文字)で表したもの。なお、種子の代わりに「南無阿弥陀仏」等の名号(題目板碑)や、仏の像を刻むもの(図像板碑)もある)。種子の下には蓮座が刻まれることが多く、その下には年紀銘や仏の徳を称える光明真言、造立者名、願文等が入ることもある。また、天蓋・珱珞・花瓶等の法具類が種子の周囲を飾るために彫られることもある。
 町内の板碑は現在までに七基が確認されており、系統としては秩父産の緑泥片岩を加工した関東地方では最も一般的である、いわゆる武蔵型板碑と称されるものである。種子はいずれも阿弥陀仏(キリーク)であり、高根沢地方における浄土信仰の広がりを示している。全体として小型であるが、これは当時の造立者の経済力や材料の産地との距離が関係しているものと思われる。種子のキリーク、そして全体の大きさからは隣接する宇都宮地域と共通する点が多い。

19図 乾元2年銘(左)・元徳2年銘(右)題目板碑(亀梨 妙福寺蔵)


20図 大安寺の板碑(桑窪 大安寺蔵)(種子の不動、文殊と一(日)は後に刻されたもの)