6図 栗ケ島出土の埋蔵銭
7図 束の状態でさびついた古銭
栗ケ島の鈴木平氏の屋敷地で大量の古銭が発見されたのは昭和二八年三月のことだった。古銭は全部で約二九・四キロ、数千枚に及ぶ。発見時には棒状に固まった状態で容器は確認されなかったという。木箱や甕などの固形物ではなく、菰や布など消失しやすい包装で埋蔵されたのかも知れない。現地は、支流の海老川に近い平坦地で、中世城館などの遺跡地ではなく、遺物の散布もみられない。
古銭は、初鋳年によれば最古銭は開元通宝(六二一年、唐)、次が乹元重宝。主体は北宋銭で当初の宋通元宝から宣和通宝に至る一六〇年間、四四種のうち二七種があり、他に南宋銭が建炎通宝から咸淳元宝まで三八種のうち一一種、他に金朝の正隆元宝や皇朝銭の長年大宝がある。これらの古銭は全て中国からの渡来銭で鎌倉時代から戦国時代にかけて流通したものだが、明銭を含まないので栗ケ島の埋蔵銭は一二、三世紀ごろに流通したものと思われる。
渡来銭には流通時の損傷による「悪銭」や本物を型どりして鋳造した模鋳銭が多いが、栗ケ島の埋蔵銭は大半がこれらであり、当時のこの地域の流通の状態を示している。大量の銭貨を埋蔵したのはこの地の富裕者であろう。銭の穴に紐を通し一本に縛ったものを緡と呼ぶ。これを数段に重ねて秘匿したのには大口取引や軍資金の拠出など来たるべき「有事」に備えての事情があったに違いない。青錆びた古銭の緡はその日を待っていたはずである。
1表 栗ヶ島出土の埋蔵銭
銭貨名 | 国・王朝 | 初鋳年 |
開元通寳 | 唐 | 621 |
乾封泉寳 | 〃 | 666 |
乾元重寳 | 〃 | 758 |
宋通元寳 | 北宋 | 960 |
太平通寳 | 〃 | 976 |
淳化元寳 | 〃 | 990 |
至道元寳 | 〃 | 995 |
咸平元寳 | 〃 | 998 |
景徳元寳 | 〃 | 1004 |
祥符元寳 | 〃 | 1009 |
祥符通寳 | 〃 | 1009 |
天禧通寳 | 〃 | 1017 |
天聖元寳 | 〃 | 1023 |
明道元寳 | 〃 | 1032 |
景祐元寳 | 〃 | 1034 |
皇宋通寳 | 〃 | 1038 |
慶暦重寳 | 〃 | 1045 |
至和元寳 | 〃 | 1054 |
至和通寳 | 〃 | 1054 |
嘉祐元寳 | 〃 | 1056 |
嘉祐通寳 | 〃 | 1056 |
治平元寳 | 〃 | 1064 |
熈寧元寳 | 〃 | 1068 |
元豊通寳 | 〃 | 1078 |
元結通寳 | 〃 | 1086 |
紹聖元寳 | 〃 | 1094 |
元符通寳 | 〃 | 1098 |
聖宋元寳 | 〃 | 1101 |
大観通寳 | 〃 | 1107 |
政和通寳 | 〃 | 1111 |
宣和通寳 | 〃 | 1119 |
建炎通寳 | 南宋 | 1127 |
淳熈元寳 | 〃 | 1174 |
紹熈元寳 | 〃 | 1190 |
慶元通寳 | 〃 | 1195 |
嘉泰通寳 | 〃 | 1201 |
嘉定通寳 | 〃 | 1208 |
紹定通寳 | 〃 | 1228 |
淳祐元寳 | 〃 | 1241 |
皇宋元寳 | 〃 | 1253 |
景定元寳 | 〃 | 1260 |
咸淳元寳 | 〃 | 1265 |
正隆元寳 | 金 | 1157 |
長年大宝 | 日本 | 848 |
8図 各種古銭が混在