9図 伊勢神宮の五十鈴川にかかる伊勢橋(三重県伊勢市)
三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮は、天照坐皇大御神を祀る皇大神宮と豊受大御神を祀る豊受大神宮からなり、前者は内宮、後者を外宮と称している。特に皇大神宮は大和朝廷で宮中に祀ったことに端を発し、さらには天皇家の氏神的存在であることによって、国家の最高神、国家守護の神であるとの観念から、古代において特殊な発展を遂げていた。
社領についてみると、古代の神宮領は伊勢国内を中心に大和・伊賀・尾張・三河・遠江など畿内を中心とした広範囲な地域に神戸(古代律令制のもとで、租・庸・調を国家に納めるための単位である課戸のうち、神社に納めることを指定された戸)や神田を有していた。さらに、一〇世紀以降になると、律令制の解体により新しい社領が出現するようになった。御厨や御園といわれるもので、実質的には他の有力寺社が有した荘園と等しいものであった。そうした御厨は全国的に普及しその数は数百カ所にも及び、下野国内では簗田御厨(現足利市)、寒川御厠(現小山市)、佐久山御厠(現大田原市)、稗田御厨(現矢板市)の四カ所が認められる。
このように神領が広がった背景には、平安時代末期ころから熊野三山参詣をはじめとして寺社参詣の気風が起こったことが大きな転換となったといえる。そして、源頼朝をはじめ鎌倉武家政権上層部の信仰を背景に東国御家人の間に浸透してきたこともあり、しだいに東国での展開を見せるようになる。そしてさらに拍車をかけたのは、蒙古の来襲という元寇に伴う国家的危機を契機に生まれた神国思想の普及であり、またそうした信仰の啓蒙普及を積極的に推し進めた神官側の布教活動であった。すなわち御師と呼ばれる人々の活動が伊勢信仰の普及に大きな役割を担ったのである。