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町内の城館跡

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 町内には、いくつかの城館跡があったことが確認されている。今なお土塁や堀を残すものもあれば、すでに消滅してしまったものもある。歴史的にも不明なものがほとんどであるが、おおむね戦国時代のものと推定できる。当時、町域の大半は宇都宮氏の影響下にあったと考えられることから、城館についても宇都宮氏と関連をもつものが多いと思われる。江戸時代の記録『那須記』の巻一〇「鹿目落城言附君嶋備中守城入言」(史料編Ⅰ・七五一頁)には、宇都宮氏配下の城館とその城主が列挙されている。記事のすべてが信頼できるわけではないが、少なくとも城館跡については実在した可能性が高い。町域に関しては「小和久保城(桑窪城)主 矢口筑前守」・「栗賀嶋城主 直井淡路守」・「下大田城主 加藤監物掾」・「石居城(阿久津城)主 野沢若狭守」・「上高根沢城主 高根沢信濃守」といった記述がみられる。以下、町内の城館跡について紹介していきたい。なお、阿久津城・桑窪城の構造については史料編Ⅰ第三章にやや詳しく記述してあるので、そちらも参照されたい。