40図 五輪塔(花岡)
五輪塔とは石で造られた塔婆の一つであり、死者を供養するための塔や墓石として使われてきた。塔は下から順に方形の地輪・球形の水輪・三角形の火輪・半球の風輪・宝珠形の空輪の五つの部分からなっており、これは仏教の密教の教えに由来している。平安末期ごろには石製のものが見られ、以後、地輪の高さ、水輪の丸み、火輪の反り等に時代により造形上の変化が見られるものの、現代まで使用されている。その造立は、鎌倉・室町・江戸と時代が降るにつれ上層武士から下層武士、そして一般庶民と広まり、分布状況や大きさ等から当時の集落や街道、造立者の勢力の強さ等がうかがい知れる。
高根沢町内の五輪塔・供養塔の分布状況をみると、時代的に中世から近世までの幅があるが九三カ所でその存在が確認できる(『高根沢町史編さん発掘調査報告書 第二集』)。比較的小型の物が多く、また近年になり圃場整備や道路の拡幅等により一カ所に集められた物もあるが、旧道沿いに分布している物もあり当時を知る上で貴重な資料の一つである。現存する五輪塔の中で特筆されるのは、花岡の字杉林にある塔である。この地は『高根沢町郷土誌』によると、慶長年間まで宇都宮家臣岡本氏が領有していた。岡本氏の帰農後、風近(諷経か)寺、その後改称され地蔵寺となった。地蔵寺の移転後、五輪塔が建てられたという。塔は二段の礎石の上に立ち、五輪部のみで高さが一五〇センチほどある。残念ながら銘は一切入っていないが、堂々として全体のバランスも良くとれた美しい五輪塔であり、塔を立てた者、また供養された者の社会的地位が偲ばれる。
41図 五輪塔位置図
●花岡字杉林に所在する五輪塔