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〔近世の仏像彫刻〕

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 江戸時代の初期造仏の主だったものは、ほとんどが運慶の後裔と称する七条仏所の仏師たちによる造仏である。栃木県内では東照宮や輪王寺は別格として、その他の主だった寺院の造仏も同様である。例えば万治三年(一六六〇)銘の阿弥陀如来坐像(茂木町・安楽寺所蔵)の方誉拾圓、寛文二年(一六六二)銘の如意輪観音菩薩坐像(塩谷町・玉生観音堂蔵)の藤原正清、延宝八年(一六八〇)銘の釈迦三尊像(足利市・養源寺蔵)の清水大輔嘉康、貞享五年(一六八八)銘の阿弥陀如来坐像(喜連川町・璉光院蔵)の井上運源等である。
 右記のように、一七世紀の主だった作品のほとんどが七条仏所関係の仏師たちによる造仏である。それが一七世紀も後半から一八世紀になると江戸在の仏師が圧倒的に多くなり、さらに下野在の仏師も台頭してくる。それは政治や経済、文化の中心が京都から江戸に移ったことであり、仏師たちも江戸に活動の拠点を移した結果である。また世の中が安定して造仏や修理の機会が多くなったため、一八世紀中ごろから地元仏師の作が急激に多くなってくる。