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鋳物師戸室将監の作

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 宇都宮の鋳物師戸室将監の作品が三件判明している。
享保一二年(一七二七)銅造梵鐘(上高根沢・淨蓮寺蔵)将監藤原元蕃(戦時中供出)
安永二年(一七七三)銅造地蔵菩薩半跏像(同右・淨蓮寺蔵)戸室将監同伊兵衛
年代不明 銅造烏類型天狗・山伏型天狗像(上柏崎・個人蔵)戸室将監
 戸室家は江戸時代をとおして宇都宮藩の御用鋳物師として活躍した一門である。現在のところ七〇件近い作品が確認されている。代々将監定国あるいは将監元蕃を名乗っており、いずれの作品も何代目の将監作なのか不明である。家伝によると常陸の豪族八田氏に仕えていたが慶長二年(一五九七)主家の没落によって宇都宮の鉄砲町に移住、姓を石下から戸室に改め、鋳物業を営むようになった。残された作品は宇都宮を中心に県南の小山市から福島県の白河方面に及び、最も古い作が元禄七年(一六九四)銘の梵鐘(益子町・観音寺蔵)、最も新しい作が明治二五年(一八九二)銘の鰐口(宇都宮市・持宝院蔵)で、その前年に作った梵鐘(益子町・妙伝寺蔵)に「戸室将監家一二代」とある。現存している作品は仏像や仏具、梵鐘、大砲等であるが、日常雑器類も作っていたと思われる。
 淨蓮寺の地蔵菩薩半跏像は像高一九五センチの堂々たる尊容で、鋳造技術も手馴れた見事な作品である。阿久津半之助の親藤兵衛とその妻幾代が願主となり、世話人に三郎衛門、権平、半四郎の三名、他に向戸と宿、塚原の女人念仏講の三九名の名前が陰刻されている。このように多数の人々による結縁造仏の作例は、他にも元禄三年(一六九〇)に作られた薬師三尊と十二神将像(飯室・薬師堂蔵)では判読できるだけでも五三人の名前が墨書されており、銘文中の「現世安穏後世善所身心快示」を願っての造仏である。作風も一木造りの彫眼、彩色像で平均が二四センチと小さく、多くの人々がわずかの銭や米を喜捨して作った尊像である。
 現在、寺院に安置されている仏像のほとんどが江戸時代の作である。仏教の精神的な衰えにもよるが、全般に形骸化して魅力の乏しい作品が大半である。しかし古代や中世の作に比べて制作年代や仏師名、施主名、結縁者名等の造立内容を墨書したものが多く、歴史資料としても大変貴重である。また尊名や大きさ、表面仕上げの技法、保存状態等によって安置された地域の信仰内容や経済状況を知る手掛かりにもなる資料である。

6図 銅造地蔵菩薩半跏像(上高根沢 淨蓮寺蔵)