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コラム 高根沢と日蓮宗

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 鎌倉時代は、日本の歴史が政治的にも経済的にも大きく転換した時代である。仏教界にとっても重大な変革期であり、法然や親鸞、栄西、道元、日蓮等によって提唱された浄土宗や真宗、禅宗、日蓮宗が武家や農民層に深く浸透し、旧来の貴族仏教とはまったく性質を異にする民衆的な信仰が生み出された。
 礼拝対象の仏像も、天台宗や真言宗では主に薬師如来や阿弥陀如来、大日如来、不動明王等が本尊であった。新しい宗派の寺院では南無阿弥陀仏の六字名号や曼荼羅本尊、祖師像、宝冠釈迦如来像が本尊である。鎌倉以前には見られなかった諸尊像であり、宗教観の相違が本尊を変え、従来から信仰されてきた釈迦如来や阿弥陀如来も時代に適応したスタイルに姿を変えて礼拝されるようになった。
 栃木県内の寺院を宗派別に見ると、真言宗が圧倒的に多く次いで曹洞宗、天台宗、浄土宗と続く。高根沢町には、真言宗が五カ寺、日蓮宗が四カ寺、曹洞宗と真宗が各二カ寺である。県内で日蓮宗の最も多いのが宇都宮市の五カ寺、次いで高根沢町の四カ寺、鹿沼市と大田原市、矢板市の三カ寺である。寺院数や人口との比率から見れば高根沢町の四カ寺が最も多く、主に県北地方に教線の広がっていることがわかる。
 寺院も宗派や本尊の変わることがある。また宗派が変わっても本尊がそのままのところもある。明治以降に新しい寺院が建てられたり廃寺になったりと、現時点だけの数字で考えるのもあまり意味がない。しかし、町内には日蓮宗関係の本尊である日蓮上人像や三宝本尊像、四菩薩像、鬼子母神像の多いことも事実である。これも高根沢町の仏像彫刻の特徴の一つである。そのほとんどが江戸中期以降のものだが、慶長八年(一六〇三)銘の日蓮上人坐像(亀梨・妙福寺蔵)や寛文一二年(一六七二)銘の三宝本尊像(亀梨・妙福寺蔵)など室町末期から江戸初期にかけてのものもあった。
 仏像彫刻ではないが乾元二年(一三〇三)銘や元徳二年(一三三〇)銘の題目板碑二基(亀梨・妙福寺蔵)に天正九年(一五八一)銘のひげ題目を書いた棟札(花岡・福田正雄家蔵)等も伝存している。これらは県内でも数少ない資料であり、鎌倉時代から現代にいたるまで日蓮宗が他の地城にくらべて広く信仰されてきたことが以上の資料からもわかる。

7図 日蓮上人坐像(亀梨 妙福寺蔵)


8図 堂内風景(上柏崎 妙顕寺蔵)