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高根沢九千石

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 高根沢は、東西、南北とも約十一・五キロメートルの範囲にすっぽりと納まってしまう。大変まとまりのよい形状をしている。その西には鬼怒川が南流し、東には喜連川丘陵が走り、その間に挟まれた形となっていた。水田は鬼怒川沿いの低地と、宝積寺台地と喜連川丘陵の間に挟まれた五行川低地に、北から南に広がっていた。
 近世高根沢の村々の石高合計は、十八世紀始めの元禄の郷帳では約九千石であったが、幕末になっても約九千五百石にすぎない。石高からみる限り、高根沢の農業生産力の増加はごく緩やかなものといえよう。下野の平均的な姿であったともいえる。ここ高根沢が大躍進に転ずるのは、明治に入ってからのことということができよう。
 近世前期には、高根沢の大部分は宇都宮藩に属していた。近世を通じて宇都宮藩領となったことがないのは、文挟村と伏久村の二か村だけであった。近世前期の宇都宮藩主は頻繁に交代し、宇都宮氏の改易後、戸田家が宇都宮藩主となるまでに八人の大名家が次々と交代した。にもかかわらず、近世前期の高根沢は大部分が一貫して宇都宮藩領のままであった。高根沢九千石の村々は、藩主の交代にもかかわらず常に宇都宮藩領として扱われる宇都宮城付領の一部であったということができる。

2図 近世高根沢の村々
注.地形区分図(土地条件図「宇都宮2万5千分の1から)の上に、近世高根沢の村々を示した。円の大きさは村高を示す。

 
1表 幕末期の高根沢の村々と領知
中阿久津村520石803宇都宮藩領
宝積寺村826石553宇都宮藩領
大谷村763石2425宇都宮藩領
石末村799石331宇都宮藩領
上高根沢村1,432石5852一橋領
桑窪村585石012一橋頷
下柏崎村227石6674
内、45石4773佐倉藩領
182石1901福原子之吉知行所
文挟村177石2245喜連川領
伏久村242石5385喜連川領
前高谷村560石061
内、36石68314天領
523石37786本多駒之助知行所
西高谷村154石0475本多駒之助知行所
平田村699石372本多駒之助知行所
亀梨村243石469本多駒之助知行所
上柏崎村208石5885本多駒之助知行所
中柏崎村169石963伊沢刀之助知行所
飯室村292石403天領
栗ヶ島村605石032天領
寺渡戸村218石04天領
関俣村639石9048天領
太田村462石736天領

注.赤堀新田の分は、石末村の内に含まれている。
『旧高旧領取調帳』(史料編Ⅱ・128頁)から