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赤堀新田

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 寛文年間に新田として成立したこの村は、石末村の南、野元川流域に位置している。石末村と同じく、新田開発以来、寛延から安永の佐倉藩領以外は宇都宮藩領であった。
 開発は、寛文九年宇都宮藩主松平忠弘のときに上高根沢村の五郎左衛門の見立てにより行なわれ、延宝六年には検地を受けるまでになっている。石高は、二百十三石一斗四合(元禄郷帳)、二百十六石六斗一升八合(天保郷帳)とあり、明和三年(一七六六)「村指出帳」には、家数二十五軒、人別百五十七人、馬二十疋とある。