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目次
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第四編 近世
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第一章 高根沢の近世
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第二節 近世高根沢の村々
関俣村
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野元川の東側の五行川沖積低地に位置し、前高谷村の北に、大谷村の南に接している。近世初頭以来の宇都宮藩領であったが、寛延から安永期には佐倉藩領となり、その後は宇都宮藩領となったが、天明年間とそれに続く嘉永三年の宇都宮藩の村替え時に上知され、幕府代官支配所としてそのまま明治を迎えている。明治になり前高谷村と合併して「花岡村」となる。
石高は、四百四十七石五斗七升七合、うち田三百五十七石余、畑八十九石余(慶安郷帳)、六百二十四石九斗二升八合五勺(元禄郷帳)、六百三十九石九斗四合八勺(天保郷帳)となっている。戸口は、天明三年に八十軒、三百七十六人であった。禅宗地蔵寺、星の宮社があった。
廻米の津出は上阿久津河岸とある。また、板戸河岸から本村を経て葛城から関街道へ続く荷街道が通じ、那須城米、白河藩城米、馬頭大山田・奥州竹貫のたばこ等が運ばれていた。問屋は庄屋が兼ねていた。
5図 星宮神社(花岡、旧関俣村)