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目次
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第四編 近世
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第一章 高根沢の近世
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第二節 近世高根沢の村々
太田村
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五行川と井沼川に挟まれた地域に、平田村の南、寺渡戸村の東に接している。近世当初宇都宮領であったが、一橋領の設置とともにその領知に繰り込まれ、文政十年に上知されて天領となり明治に至っている。なお、宝永八年(一七一一)の村差出帳では「下太田村」と称している。
6図 津島神社(太田)
石高は、三百五十八石九斗八升六合、うち田二百七十四石余、畑八十四石余(慶安郷帳)、四百四十一石八斗五升三合五勺(元禄郷帳)、四百六十二石七斗三升六合(天保郷帳)であった。戸口は、宝永八年には七十軒、三百五十六人であった。