18図 享保18年の亀梨村五人組帳(亀梨 鈴木重良家文書)
村の生活は、原則的に村人に任され、自治的に運営された。また、五人組によって組織化された。五人組は、地域ごとに五戸前後の家を組み合わせて、その組々に年貢納入や治安維持の連帯責任を負わせた制度である。連帯責任による農民支配体制が強化されていった。
戸田忠余宇都宮領の享保十八年(一七三三)六月の亀梨村五人組帳(史料編Ⅱ・三〇六頁)が庄屋亀次郎から郡方役所に出されている。その前書きは十五か条である。
①一坪の田も荒らさないように精を出す。もし、年貢未納の時は庄屋・組頭相談の上、役所へ報告する。村を逃げ出した者がいたら探し出し、代わりの百姓を取り立てること。
②耕作も商売もしない素行不審な者は調べ報告する。徒党や訴訟はしてはならない。
③年貢上納米は、役人が調べ、庄屋・組頭立会、中札・上札を入れ、それぞれの通い帳に庄屋印を捺す。籾米御用の節は、河岸出しやその他、指図通りに届けること。
④触れ状は昼夜なく遅滞なく村継ぎをする。それぞれの庄屋は請取り手形を取ること。
⑤火の用心が大切。郷蔵の近くに火事があったら、自分の家のことはさておき郷蔵を守ること。
付 灰を取るときはその家の亭主が灰を湿らすこと。
⑥田畑の質入れは、庄屋・組頭に相談する。庄屋・組頭・五人組の連名の証文を作る。文面は所定の文面にする。文面を替えた時は代官に知らせ、指図を受ける。
付 所持している田畑を質に入れると、その地主は困窮するから、庄屋・組頭たちは地主が成り立つように相談せよ。
⑦村々より小百姓の印を庄屋・組頭に預けて置くと聞く。それは今後の論争のもとになるので、これからは印は庄屋・組頭に預け置かないように。
⑧所によっては男子が若い内に西国巡礼や諸山参詣をすると聞く。昨年のことを考えると今年の参詣は来年に延期する。庄屋・組頭に相談し指図を受ける。
⑨村除きの社や村人持ちの社の小作米は、庄屋・組頭が立ち会い、よく調べて帳面に記す。修理や祭礼の費用も入念に記帳し、名主・組頭の印を捺す。何年過ぎても論争が起きないようにする。
⑩御山・御林や屋敷の竹木はみだりに切らない。もし必要なときは代官所に願書を出し、御山方の指図を受け、庄屋・組頭が立ち会い切る。それぞれの藪も売買してはいけない。
⑪村境・野場・山林・藪境は、常々油断なく守ること。境が分かりにくいからと新境を立てたり植木塚を築いたりしてはいけない。境が分かりにくい場所は、願いを出して指図を受ける。
⑫それぞれの屋敷林も精を出して植木したり挿し木したりする。藪や林も荒らさないように心掛よ。
⑬新田・新畑・切添などは、その年々に代官所へ申し出て改を受ける。
⑭無高の百姓や前地の身分の軽い者の願いも、庄屋・組頭は粗末にしないように。願いによっては早く代官所に知らせる。
⑮役人が村へ行った時は、所定の賄いでする。費用は帳面に記し、その役人の印をとり、村中で割り振る。小割帳を粗末に取り扱っている村もあると聞く。何年か後にもめごとになった時、小帳を出して申し分が立つようにする。庄屋・組頭は念を入れて割り振りをしたら、村中の百姓を集めて必ず見てもらう。
右の条々、毎年五人組を改めて堅く守ること。もし、違反する者があったことを聞いたら詮議の上、処罰する。後日のために連判し証文とする。
とある。
このように、幕府や大名は、農民の生活を規制し、農作業に精を出させ、年貢の確保を第一と考えた。そのためにも、五人組を単位とし、彼らの生活を互いに監視させ、怠惰による田畑の荒廃や、年貢の滞納などの問題が起きたら、その五人組に連帯責任を負わせた。村内の生活は、庄屋・組頭の村役人を中心に自治的に運営させ、何かある時には直ぐに代官所に報告させるようにした。
疑ってみると、領主側は農民支配の組織や警察、軍事にかかる力や費用を、五人組や村役人を利用して、軽減したとも考えられる。
19図 亀梨村五人組帳