この宗門帳によれば、桑窪村は、男百七十九人、女百四十六人、山伏二人、僧一人の三百二十八人とある。家数は、本百姓五十五軒、水呑四軒、前地一軒の六十軒である。
檀那寺は、
下野国芳賀郡稲毛田村崇真寺末寺 桑窪村 大安寺
山城国京都聖護院宮末天台宗 千本中根村 玉泉院
同国醍醐光厳院末寺真言宗 稲毛田村 崇真寺
の三ヵ寺である。
名主は平左衛門、組頭は織右衛門と久左衛門、百姓代は弥助である。
一枚目の最初の一人目に、
持高七拾五石壱升弐合
平左衛門
一 真言宗芳賀郡稲毛田村崇真寺旦那
当申七十七歳
とある。
名主の平左衛門の檀那寺は、稲毛田村(芳賀町)の真言宗崇真寺であった。平左衛門の倅や嫁、孫など家族の七名も檀那寺は崇真寺である。しかし、平左衛門の前地・喜八の檀那寺は、桑窪村の真言宗大安寺であった。喜八の妻や弟の家族の三名の檀那寺は大安寺である。
次郎左衛門は、自分の家族の七人と分地の三家をもつ。分地の金兵衛は家族五人、小七は七人、嘉平は四人いた。分地三家の合計は十六人である。次郎左衛門の家族と分地の二十三人は全て大安寺である。
しかし、武内の家族の檀那寺は崇真寺と大安寺に分かれた。武内(五十歳)、倅の要吉(三十歳)、竹吉(二十八歳)、孫の要太郎(四歳)の四人は崇真寺である。女房のせよ(四十八歳)、娘のとみ(十九歳)、とめ(十五歳)、はつ(四歳)の四人は大安寺である。
女房のせよには、「御領知板戸村五郎右衛門姉十一年以前縁付参り候」とあり、十一年前に武内と再婚したと思われる。娘のとみととめは前の夫の子であろう。娘のはつは、武内とせよの間に生まれた子であろう。
天台宗は三人いる。修験者の法林寺と倅の斎宮と祐吉の三名である。斎宮も修験者である。法林寺の妻・もと、斎宮女房いち、娘・りよの三名の檀那寺は崇真寺である。
桑窪村の旦那寺は、崇真寺が五十六名、大安寺は二百七十一名、天台宗は三名であった。村人の数が一致しないのは、宗門帳の新右衛門の「小以二拾四人内 男十二人」(史料編Ⅱ・三五三頁)、直七の「小以二十人内 女六人」(史料編Ⅱ・三五五頁)、久右衛門の「小以十四人内 男八人」(史料編Ⅱ・三五九頁)となるからである。
この宗門帳には、妻や母の女性の名前と、戸主の持ち高が表記されている。
20表「桑窪村 持高・家族数一覧」によれば、最大は、名主・平左衛門の七十五石余である。次いで、次郎左衛門の二十六石余である。最小は太右衛門の一石一升二合である。一人者の大吉と修験者の法林寺は無高であった。三十八家の持ち高の平均は約十三石九斗である。持ち高別に見ると、一石以上五石未満が九名、五石以上十石未満が十名、十石以上十四石未満が二名、十五石以上二十石未満が十名、二十四石以上二十七石未満が六名、七十五石以上が一名となる。十石未満が十九名と桑窪村の半分である。十五石以上が十七名である。持ち高で見ると十石未満と十五石以上に二極化している。
七十五石余の平左衛門には、前地の喜八の家族四人が付属している。
二十六石余の次郎左衛門には、分地・金兵衛の家族五人、小七の家族七人、嘉平の家族四人の合計十六人いた。その家族構成は次のようである。
次郎左衛門 四十九歳
次郎左衛門分地 次郎左衛門分地 次郎左衛門分地
女房 よね 四十四歳 金兵衛 六十九歳 小七 六十四歳 嘉平 四十三歳
忰 源治郎 二十八歳 女房 さつ 五十九歳 女房 たん 五十七歳 女房 せき 三十九歳
女房 こよ 二十二歳 忰 平助 二十三歳 庄八 二十九歳 娘 まつ 十八歳
忰 弥重 二十一歳 忰 与茂助 二十八歳 女房 もん 二十四歳 嘉七 四歳
娘 さよ 十八歳 女房 きよ 二十四歳 庄八娘きく 四歳
次郎 三歳 同人忰次郎 二歳
小七娘はつ 二十歳 小以二十三人、内男十二人 女十一人
分地の合計十六人の内、十四人が働き手になるだろう。次郎左衛門家では、二十三人中、二十人が働いていたことになる。
本百姓三十八家の内、前地や分地を内包した家は、十七軒である。前地は一軒で四人、分地は二十八軒で百十七人である。宗門帳に記載された三百二十八人の中、前地と分地は三十七パーセントになる。前地と多くの分地の百姓が高持ち農家を支えていた。
22図 寛政12年の桑窪村宗門帳(桑窪 谷口高次家文書)
23図 真言宗 崇真寺(芳賀町稲毛田)
24図 真言宗 大安寺(桑窪)
20表 桑窪村寛政12年 持高・家族数一覧
名前 | 持ち高 | 家族数 | 内分地人数 | ||||||
勺 | |||||||||
1 | 平左衛門 | 12 | ※4 | ||||||
2 | 次郎左衛門 | 1 | 23 | 16 | |||||
3 | 直七 | 5 | 20 | 14 | |||||
4 | 宇平治 | 2 | 10 | 2 | |||||
5 | 新右衛門 | 5 | 24 | 18 | |||||
6 | 彦右衛門 | 6 | |||||||
7 | 源蔵 | 1 | 14 | 9 | |||||
8 | 清左衛門 | 5 | 13 | 7 | |||||
9 | 武左衛門 | 3 | 5 | ||||||
10 | 友八 | 5 | 14 | 9 | |||||
11 | 平七 | 12 | 6 | ||||||
12 | 清右衛門 | 8 | |||||||
13 | 喜八 | 5 | 7 | ||||||
14 | 久兵衛 | 7 | 2 | ||||||
15 | 利左衛門 | 11 | 4 | ||||||
16 | 勝之丞 | 6 | 5 | ||||||
17 | 銀右衛門 | 3 | 6 | 4 | |||||
18 | 新八 | 7 | 2 | ||||||
19 | 久左衛門 | 9 | 12 | 3 | |||||
20 | 善蔵 | 5 | 7 | 2 | |||||
21 | 武内 | 8 | |||||||
22 | 安左衛門 | 5 | |||||||
23 | 吉左衛門 | 5 | 5 | ||||||
24 | 久右衛門 | 5 | 14 | 8 | |||||
25 | 藤七 | 5 | 3 | ||||||
26 | 惣助 | 4 | |||||||
27 | 八助 | 5 | 4 | ||||||
28 | 市太郎 | 1 | |||||||
29 | 平蔵 | 5 | 11 | 7 | |||||
30 | 弥四郎 | 6 | 9 | ||||||
31 | 弥助 | 4 | |||||||
32 | 大安寺 | 9 | 1 | ||||||
33 | 重右衛門 | 5 | |||||||
34 | 惣平衛 | 12 | 6 | ||||||
35 | 市左衛門 | 6 | |||||||
36 | 平治右衛門 | 4 | |||||||
37 | 清太郎 | 2 | |||||||
38 | 太右衛門 | 5 | |||||||
39 | 大吉 | 1 | |||||||
40 | 法林寺 | 6 | |||||||
合計 | 2 | 328 | 21 |