村名 | 石末村 | 石末村内柳林 | 宝積寺村 | |||
年代 | 反別 | 分米 | 反別 | 分米 | 反別 | 分米 |
明暦2(1656) | ||||||
寛文11(1671) | 2330-15 | 36.6865 | 1895-27 | 35.6190 | ||
延宝6(1678) | 1624-9 | 19.2525 | 1625-9 | 18.2030 | ||
天和3(1683) | ||||||
元禄3(1690) | ||||||
宝永4(1707) | 4382-12 | 57.6810 | 905-12 | 12.1060 | ||
正徳3(1713) | 273-24 | 7.1000 | 160-12 | 4.5700 | 133-27 | 3.1910 |
正徳6(1716) | 1402-24 | 15.6270 | ||||
享保3(1718) | 84-01 | 1.2110 | 76-10 | 1.1150 | 106-29 | 2.5630 |
享保10(1725) | ||||||
享保12(1727) | 140-18 | 1.4060 | ||||
享保17(1732) | ||||||
寛保2(1742) |
村名 | 上高根沢村 | 寺渡戸村 | 平田村 | |||
年代 | 反別 | 分米 | 反別 | 分米 | 反別 | 分米 |
明暦2(1656) | ||||||
寛文11(1671) | 5368-12 | 86.1750 | 296-15 | 9.695 | 1659-21 | 30.295 |
延宝6(1678) | 608-18 | 16.7360 | 63-18 | 1.6815 | 147-3 | 4.270 |
天和3(1683) | ||||||
元禄3(1690) | ||||||
宝永4(1707) | 412-12 | 12.1200 | ||||
正徳3(1713) | 1036-3 | 26.8890 | 177-28 | 5.6550 | 1435-24 | 36.0460 |
正徳6(1716) | ||||||
享保3(1718) | 352-11 | 6.9040 | 60-29 | 2.5390 | 59-21 | 1.4040 |
享保10(1725) | 213-4 | 7.2352 | ||||
享保12(1727) | 230-14 | 2.8130 | 98-10 | 4.6050 | ||
享保17(1732) | 230-14 | 2.8130 | ||||
寛保2(1742) | 553-2 | 5.5210 | 425-18 | 16.7455 |
村名 | 下太田村 | 関俣村 | 上柏崎村 | |||
年代 | 反別 | 分米 | 反別 | 分米 | 反別 | 分米 |
明暦2(1656) | ||||||
寛文11(1671) | 653-15 | 12.7900 | 904-12 | 22.0075 | 484-21 | 9.2970 |
延宝6(1678) | ||||||
天和3(1683) | 15-18 | 0.6855 | ||||
元禄3(1690) | ||||||
宝永4(1707) | ||||||
正徳3(1713) | 176-18 | 5.1310 | 361-15 | 12.6380 | 190-12 | 3.8080 |
正徳6(1716) | ||||||
享保3(1718) | 46-24 | 0.7250 | 58-22 | 1.1750 | ||
享保10(1725) | ||||||
享保12(1727) | (1)27-21 | 2.775 | ||||
享保17(1732) | (2)48-22 | 1.2183 | ||||
出典:石末 野沢俊子家、寛文11年「古新田縄受帳」他より作成、屋敷地を含んだ反別・高である。
注1.上柏崎村は享保11年の数値である
注2.関俣村は享保16年の数値である
高根沢町域の地形は、平地林や平場の野場が多いうえに、井沼川・冷子川・五行川・海老川・井亀川などの、用水として利用できる小河川も多く、この他に鬼怒川から取水して作られた市の堀用水や釜ヶ渕用水・草川(新堀)用水などかあり、新田開発にはもっとも適した地域であるかのように考えられる。しかし、新開田畑反別を見る限り、畑地中心の新田畑開発となっている。
25表は、各村における新開田畑反別のもっとも多い年を二つ取り上げてまとめたものである。十七世紀中葉の明暦二年(一六五六)総検地による下太田村の本田畑は、三十二町四反余の水田と三十町四反余の畑地であり、田畑ともにほぼ同面積であった。
それに対し、25表にあげた寛文十一年(一六七一)の「新田畑検地帳」九か村の合計面積は、田地四十一町四反余、畑地百九町九反余となり、その比率は新田一に対し新畑二・六五となっている。正徳三年(一七一三)の六か村の新田畑面積の割合は新田一に対し新畑一・四七であり、それ以後の三か村の新田畑面積の割合も新田一に対し新畑一・五六となっている。全体として、新畑反別の方が新田反別を大きく上回っていた。
この背景として、町域内を流れる多くの小河川は、水田の用水として利用されるまでに十分整備されていなかったのではないか、たとえ利用できる河川があったとしても、水利権や普請夫役などのからむ何らかの問題が存在していたのではないかということが考えられる。
25表 新開田畑反別の比較
単位:畝・歩
村 名 | 年 代 | 新開田反別 | 新開畑反別 |
下 太 田 | (参)明暦 2 | 3,244-06 | 3,047-00 |
寛文11 | 313-06 | 306-21 | |
関 俣 | 寛文11 | 307-27 | 579-24 |
正徳 3 | 339-24 | 21-22 | |
上 柏 崎 | 寛文11 | 315-09 | 169-12 |
正徳 3 | 190-12 | ||
桑 窪 | 寛文11 | 416-09 | 1,283-09 |
寺 渡 戸 | 寛文11 | 164-18 | 109-06 |
正徳 3 | 177-28 | ||
上高根沢 | 寛文11 | 1,304-09 | 4,018-21 |
正徳 3 | 986-20 | 41-26 | |
宝 積 寺 | 寛文11 | 287-21 | 1,607-06 |
延宝 6 | 20-15 | 1,597-21 | |
柳 林 | 宝永 4 | 305-02 | 600-06 |
正徳 3 | 4,508-15 | ||
石 末 | 寛文11 | 490-18 | 1,821-00 |
宝永 4 | 1,385-18 | 2,996-24 | |
伏 久 | 寛文 9 | 1,919-18 | 6,027-15 |
嘉永 6 | 3,295-27 | 4,179-15 | |
平 田 | 寛文11 | 540-12 | 1,097-12 |
正徳 3 | 1,425-24 |
注.畑反別には屋敷地を除いてある。