農業生産は、鍬や鎌の人力農具を使い、家族労働による小規模農業経営を基本的特質としている。また、米納年貢のため稲作栽培を中心におかなければならなかった。しかし、人力による農具の非効率性は、労働生産力の向上に制約を与え、小農経営の生産力に不安定性をもたらしていた。だか、小農民の生活は原則として自給自足であったから、少しでも生産力を高めるために、努力しなければならなかった。それが小農民を自立させる足掛かりになっていった。
小農自立の礎となったのは、稲の品種改良による適種適地の栽培が可能になったこと、厩肥や金肥の施肥による農産物の増収が可能になったこと、そして土地を深耕するための農具を取り入れたことであった。牛馬に犂を引かせる方法は効率的だが。犂は深耕には適さない。これに対し、鍬は深耕にもっとも適しており、安く入手できる道具であった。
安政五年(一八五八)の「金銭出入諸覚帳」(亀梨 鈴木重良家文書)によると、「なた二百四十八文」、同六年の「金銭出入扣帳」(平田 加藤辰男夫家文書)によると、「くわ六百文」とある。これら農具の値段が高いか安いか、検討の余地はあろう。だか、単純な人力農具である鍬が改良され、耕起用としても中耕用としても利用されたことが、近世における農業生産力を高め、小農の自立の源となったと考えられる。
しかも、大量の肥料を使って地力を補給しながら連作し、生産量を上げていくという集約的農業が営まれていたことも、小農の自立を促すことになった。