市の堀用水組合村々の多くは、数多くの問題を抱え用水の管理運営に苦慮しながらも、結束を図り維持に努めてきた。しかし、用水流末の村々は、管理運営の在り方に異論を唱え、抗議することが絶えなかった。桑窪村だけでなく、土室村・上柏崎村もそれに追従しながら、普請にかかわる人足や馬・資材・諸経費の負担から逃れようとしたのである。
市の堀用水組合村々が宇都宮藩領であったときはまだ良かったが、延享年間に入ると藩主の所替えが行われた。それに伴い、宇都宮藩領であった組合村々は、宇都宮藩領・一橋領・佐倉藩領に分割された。寛延三年(一七五〇)以降、市の堀用水組合十五か村の支配は、次の通りである。
宇都宮領……長久保新田村・箱森新田村・蒲須坂新田村・土室村
喜連川領……伏久村・文挟村
佐倉領……押上村・松山村・松山新田村・狭間田村・狭間田新田村・谷中新田村・根本新田村
一橋領……桑久保村・上柏崎村
このように、四領主によって支配されるようになると、市の堀用水路の維持管理にも障害が生じやすくなったのである。