6図 天明6年馬頭筋荷物証文の関街道関係図
関街道はまた馬頭・烏山等の山間地帯の特産物を運ぶ太い道筋でもあった。馬頭大山田、奥州竹貫(福島県)のたばこ、水戸藩の御蔵紙(史料編Ⅱ・五八三頁)でもあった烏山の和紙もこの街道をとおって河岸まで運ばれた。
天明六年(一七八六)、板戸河岸と関街道村々で取り交わされた証文は、馬頭筋荷物が遅れがちなことから荷主から不満がでて、今後は板戸河岸問屋が検査をして、道筋を監督し不埒なことがないようにすることになった(史料編Ⅱ・五五〇頁)。街道筋の各宿が板戸に参会して証文にし、板戸河岸問屋から関俣村五郎兵衛以下の諸宿にだしたものである。関街道諸宿とは関俣・葛城・川井・白久・恩田・三輪村である。馬頭筋荷物とは馬頭大山田産のたばこのことであろう。さらに、今後輸送に不都合ができたときは、荷主は勝手次第に関俣村以外の道に廻しても異議を唱えないと承知させられている。傷みやすい煙草の荷については、輸送上特別の注意をしなければならないが、それについては板戸河岸問屋が大きな権限を持つことになった。
なお、証文には「恩田通り」・「白久通り」と、馬頭たばこの輸送経路について、馬頭・小川・恩田・葛城・(関俣)・板戸河岸の恩田通りと、馬頭・白久・鴻野山・板戸河岸の白久通りと、二筋の関街道が記されている。
さらに安永八年(一七七九)、森田村(烏山町)・見上村(南那須町)から喜五郎内(上高根沢の木内)の問屋仲間の議定も、この馬頭産の大山田煙草の輸送についてのものである(史料編Ⅱ・五八四頁)。それは、たばこ荷物が江戸の問屋から抜け荷による量目不足を指摘され、十分吟味をするようにとの要求から結んだ議定であった。荷物一個一個を厳しく検査すること、たばこは抜き取り易いので附子、馬士等まで気をつけ、蔵には無用の者を決して入れないこと、不正をしたときの罰金等々まで定められた。