8図 氏家宿助郷御証文写(花岡 鈴木 徳家文書)
高根沢町域の村の多くは、隣接する氏家宿の助郷村となっていた。文政十一年に助郷帳が交付される以前の氏家宿等の奥州道中の助郷の状況について、秋本典夫著「黒羽藩における領内宿・助郷の統制」を参考にみておこう。
十八世紀の宇都宮藩主の交替は、高根沢をはじめ奥州道中の助郷の状況に変化をもたらした。特に、寛延二年(一七四九)の宇都宮藩主戸田家の島原転封は、氏家宿と助郷村の関係が大きく変る契機となった。助郷の負担過重に悩む村々は、転封という領主支配の変動を、自村の有利に利用しようとする動きを見せ始めた。
寛延三年、宇都宮藩領の奥州道中氏家宿、白沢宿から次のような願書が出された。
両宿の儀、往古より代々宿・助郷とも宇都宮同領ゆえ、領主より村々へ助郷仰せつけられ候へば相違なく助人馬を相勤め申し候。しかるに、四年以前卯年(延享四年)両宿助郷村の内十八か村が一橋御領知となり、又々この度宇都宮御所替えで二十八か村が堀田相模守領分となり、前々とは変わり他領が入り交じり候につき、他宿同様に助郷証文頂戴つかまりたく願い上げ奉り候。この他領の取扱いについては、助郷証文なくしては今後は差し支えが生じ、難儀至極に候(河内町宇加地太美雄家文書)。
 
と、両宿は「助郷証文」の下付を願った。助郷証文とは助郷帳のことであろう。証文が必要な理由について次のように言っている。昔のように宿駅も助郷村もすべて同じ宇都宮藩領内のときは、助郷証文がなくても領主から村々に命令を伝えることによって人馬提供が滞ることはなかった。しかし、宇都宮領と他領の入り交じりとなってしまうと、他領への助郷役の命令は、強制力のある幕府の助郷証文なくしては差し支えることが予想される、と宿駅は助郷動員に伴う紛争を心配しているのである。
この心配は十分根拠のあるものであった。氏家宿の助郷は、以前は宇都宮藩役所が必要人馬を割り出して村々に命令していたが、宝永七年(一七一〇)の戸田家の入部後は、氏家宿問屋が必要数をすべての助郷村に伝えるようになっていた。こうなると、通行量の増大によって助郷役が過重となると、助郷村は助郷の徴収をおこなう氏家宿に対して不満を抱くようになり、ついには宿役人を不法として訴えるようにもなった。氏家宿としては、助郷徴収の根拠となる幕府の命令書「助郷帳」が必要だったのである。
氏家宿に対する助郷帳は、文政十一年(一八二八)になってようやく道中奉行岩瀬伊予守と石川主水正から下付された(史料編Ⅱ・五一五頁)。氏家宿は、助郷四十五か村、助郷高一万三千五百五十七石余であった。
助郷帳の内容は、文化元年(一八〇四)の「氏家宿助郷人馬割合高控帳」(史料編Ⅱ・五〇七頁)と同じであり、さらに以前の宝暦十四年(一七六四)の記録(『氏家町史』)と比較しても、助郷村名、助郷高とも全く同一である。恐らく、十八世紀の半ば過ぎの宝暦年間に、氏家宿に対する定助郷村と定助郷高が指定され、文政十一年には、それを再確認する形として、あらためて助郷帳が交付されたものであろう。
高根沢町域の村々の多くは、隣接する氏家宿の助郷村となった。但し、宝積寺村と中阿久津村の二カ村だけは白沢宿の助郷村であった。また、喜連川領文挟村、伏久村の二カ村と中柏崎村、下柏崎村については史料がなく不明である。なお、鬼怒川の渡河地点であった上阿久津村はどこの宿の助郷にも指定されなかった。
各村の助郷高は、高根沢地域の村々で見ると、元禄郷帳の村高の約九十五パーセントとなっている。助郷負担が、村高、特に元禄郷帳の高を基準としていたことが推測される。また、左表の「氏家宿助郷村一覧」のNo.36からNo.45の十カ村は、「(氏家宿から)遠村につき半高勤め」とあるように(史料編Ⅱ・五〇七頁)、元禄郷帳の村高の約五十パーセントであった。なお、赤堀新田の助郷高が約五十パーセントは新田村の特例であろうか。
9図 文政11年(1828)氏家宿・白沢宿の助郷村略図
1表 文政11年 氏家宿助郷村一覧
No. | 村 名 | ・ 助 郷 高 | |
1 | 大谷村 | 704.966 | 高 根 沢 |
2 | 関俣村 | 598.391 | |
3 | 石末柳林村 | 474.2575 | |
4 | 赤堀新田 | 106.564 | |
5 | 土室村 | 143.433 | |
6 | 氏家新田 | 190.247 | 氏 家 |
7 | 柿木沢村 | 189.568 | |
8 | 狭間田村 | 161.881 | |
9 | 狭間田新田 | 99.859 | |
10 | 根元新田 | 27.3825 | |
11 | 谷中新田 | 45.25 | |
12 | 松山村 | 141.0145 | |
13 | 松山新田 | 102.1415 | |
14 | 上野新田 | 27.573 | |
15 | 箱森新田 | 69.987 | |
16 | 蒲須坂新田 | 30.401 | |
17 | 長久保新田 | 51.8228 | |
18 | 押上村 | 343.447 | |
19 | 桜野村 | 425.59 | |
20 | 馬場村 | 627.8427 | |
21 | 川原新田 | 33.7275 | |
22 | 柿木沢新田 | 14.469 | |
23 | 上小倉村 | 842.3225 | 上 河 内 |
24 | 下小倉村 | 1455.709 | |
25 | 肘内村 | 304.374 | 塩 谷 |
26 | 大久保村 | 511.5565 | |
27 | 上平村 | 174.921 | |
28 | 風見村 | 362.614 | |
29 | 風見山田 | 155.35725 | |
30 | 大宮村 | 1135.317 | |
31 | 前高谷村 | 535.244 | 高 根 沢 |
32 | 西高谷村 | 134.941 | |
33 | 寺渡戸村 | 177.7445 | |
34 | 平田村 | 616.576 | |
35 | 太田村 | 428.878 | |
36 | 栗ケ島村 | 277.2555 | |
37 | 桑窪村 | 174.01 | |
38 | 柏崎村 | 96.1155 | |
39 | 下亀梨村 | 37.6517 | |
40 | 上亀梨村 | 82.8388 | |
41 | 上高根沢村 | 621.7007 | |
42 | 野高谷村 | 112.392 | 宇 都 宮 |
43 | 刈沼新田 | 101.2995 | |
44 | 刈沼村 | 80.465 | |
45 | 道場宿村 | 328.33675 |
「文政11年5月 氏家宿助郷御証文写」(史料編Ⅱ・515頁)