近世中期の農業経営における支出項目は、主として年季奉公人や雇人の給金、鍬やすき・鎌などの農具の購入費用、あるいは農具の修理代くらいであった。しかし、速効性のある〆粕や干鰯などの金肥の使用が普及することによって、生産性は高まったが、その購入代金は急速に増大し、農業生産にかかる経費の大部分を占めるようになった。この農業生産を維持するには、生産にかかる経費に見合った収入の方法を考えなければならなかったが、その収入源はもっぱら農作物の販売代金と農間余業の収入で補填するほかなかった。
近世後期の高根沢町域における農作物は、「村明細帳」(史料編Ⅱ・四~八七頁)によると、水稲・粟・稗・大小麦・菜大根・芋・大豆・小豆・そば・もろこし・荏・綿・煙草などである。このうち米は、半分前後の量を年貢として取り立てられてしまう。残りの米は自家消費するか、販売して現金にする。こうして得た現金を、衣料品・薬品・塩などの生活物資や農具の購入費に当てる。それだけではなく、村入用費や、村内・組内・親戚などの交際などにも当てなければならない。これらの支出に当てる現金は、自家消費米をすべて販売してでも用意しておかなければならなかったのである。
また、自給肥料生産のために注ぎ込んできた多くの時間と労働力は、購入肥料の普及によってかなり節減できるようになった。節減できた時間と労力は、余業に当てて現金収入を得るように努力している様子がうかがえる。