農村に、生産と消費の両面から次第に商品経済が浸透し、現金収入が農業経営上欠くことができなくなってきた近世中期以降、農民は畑作の農作物を販売することで、現金を得ようとした。なかでも、商品作物になり得る荏・綿・煙草・菜種などの栽培は、高根沢町域でも見られた。荏や菜種は灯油として、綿は木綿織物として、煙草は嗜好品として商品になり得たのである。
これらの農作物は、商品作物として農民生活の需要以上に栽培され、現金収入の源となった。このほかに、小麦や大豆のように、はじめ自給用に栽培していたものが、醸造技術の発展により原料作物として商品価値を高めていったものもある。
近世後期にもっとも広範に市場を持っていた商品作物は、実綿と菜種である。綿の生産には多くの購入肥料と労働力が必要であったが、その裏作として大麦・小麦・菜種などを作付けることができる利点があった。そのため経営規模の小さい農民でも、商品作物としての有利さを利用できる。その上、綿は木綿糸や木綿織物の原料として販売できたし、綿実は灯油の原料として販売できたから、農民にとって現金収入を図ることのできる商品作物であった。
稲作の裏作として本田に作付けることができた菜種は、綿実と同じように油の原料となり、菜種油(水油)として照明用に利用された。しぼり粕は油粕として肥料になった。全国的に農間余業が盛んになり、夜なべ仕事をする機会が多くなると、灯油は農民の生活に欠かせない日用品となった。このため、菜種の生産は全国的に広がり、商品作物としての価値を高めていったのである。