1図 綿・菜種など手広く買入れていた在方商人阿久津家の前景(上高根沢 阿久津恵一家)
1表 元治2年(1865)上高根沢村阿久津家の綿製品の買入高
地域名 | 購入製品の種類 | 買入金額 | ||||
西根 | 種綿・綿実 | 00文 | ||||
太田村 | 種綿・繰り綿・木綿織物・綿実 | 260文 | ||||
栗ケ嶋村 | 木綿織物・糸 | 500文 | ||||
桑窪村 | 木綿織物 | 50文 | ||||
平田村 | 木綿織物 | 232文 | ||||
市塙村 | 種綿 | |||||
宇都宮町 | 赤綿 | |||||
上高根沢村 | 種綿 | 146文 | ||||
稲毛田村 | 木綿織物・赤繰り綿 | 169文 | ||||
前高谷村 | 木綿織物 | 865文 | ||||
簗瀬 | 木綿織物 | 900文 | ||||
日の町 | 木綿織物 | 424文 | ||||
川又 | 木綿織物 | 200文 | ||||
無記名 | 種綿・糸・綿実・繰り綿他 | 92文 |
出典:上高根沢 阿久津恵一家、元治2年「綿買入帳」(史料編Ⅱ・497頁)
2表 慶応2年(1866)上高根沢村阿久津家の諸品買入高
地域名 | 購入製品の種類 | 買入金額 | |||
西根 | 綿実 | 252文 | |||
太田村 | 菜種・大麦・籾・米 | 757文 | |||
栗ケ嶋村 | 糸 | ||||
平田村 | 木綿織物 | 648文 | |||
台新田村 | 種綿・綿種・木綿織物 | 742文 | |||
寺渡戸村 | 綿種・米 | 440文 | |||
赤堀新田 | 記載なし | 274文 | |||
西高谷村 | 綿実・米 | 600文 | |||
前高谷村 | 菜種 | 444文 | |||
簗瀬 | 菜種 | 303文 | |||
東高谷村 | 菜種 | 69文 | |||
上高根沢村 | 米 | 174文 | |||
嶋之内 | 木綿織物 | 300文 | |||
堀之内 | 米 | 175文 | |||
無記名 | 種綿・綿実・木綿織物・米・菜種 | 30文 |
出典:上高根沢 阿久津恵一家、元治2年「綿買入帳」(史料編Ⅱ・497頁)
注.西根・築瀬は上高根沢村の字、堀之内は太田村の字、嶋之内は不明、川又は豊郷村の上川俣(現宇都宮市川俣町)か
上高根沢村上金井の阿久津家は、在方商人として近隣の村々から商品を買い集めていた。同家が元治二年(一八六五)に買い入れた綿及び綿織物・糸の金額は、1表の通りである。これによると、一年間に買い入れた種綿は五両一分と百文、赤綿三両、繰り綿四両二分二朱と一貫六百九十三文、糸二朱と十貫三百七十七文、綿二両、せま反物三十九反で三両と百一貫五百四十六文、広反物十反で三十一貫三百五十文、木綿十一反で二十六貫七百十五文、総額で十八両と百七十一貫七百八十一文である。これら大量の綿織物や綿は周辺の農村から買い入れられ、売り捌かれていた。したがって、高根沢町域の村々が、商品作物である綿を栽培し、現金収入の源としていたことが裏付けられる。
翌慶応二年(一八六六)には、綿以外に綿実や菜種・大麦・米・籾の買い付けもされている(2表)。綿及び綿織物・糸の年間の買入は、広反物二反で六貫七百文、せま反物二反で一分と一貫七百六十八文、綿実一両一分と三貫八百七十二文、種綿一分と一貫七百文、糸六貫である。この他に、菜種九両三分と二貫四百四十五文、大麦二両一分と九百五十二文、玄米四十七両三分と五貫七百二十七文、籾六両と一貫二百五十七文の買入があり、これらの総額は六十七両二分と二十四貫四百二十一文である。前年の買入額と比較してみると、綿だけの商売に対し、菜種や米を加えた商売の方が、約一・六七倍の商い高になっている(前頁参照)。しかし、綿織物に限ってみると、元治二年には六十反の買入量であったが、翌年にはわずか四反に減っている。その後のことについては、史料不足のため推移は不明である。