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農間余業

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2図 実った綿花

3表 高根沢町域の農間余業
村名農間余業
前高谷村男:秣薪取り
女:布・木綿
上高根沢村男:秣薪取り、縄菰筵編み
女:布・木綿・菰筵編み
赤堀新田村男:薪木・秣苅り
女:着用布織り
石末村男:芝薪取り・莚菰縄
女:布織り
関俣村男:駄賃付け・芝苅り・縄
女:木綿
宝積寺村男:舟引・駄賃付け・日用取
女:木草・木綿織り・糸取り
亀梨村男:木草取り
女:布木綿織り

出典:史料編Ⅱ・4~25、27~37、44~47、62~70頁
 
 農間余業は、農家の収入不足を補うための稼ぎであり、このことは近世のごく早い時期から行われていた。近世中期になるにつれて、現金収入の増大をはかる必要に迫られ、より多くの現金収入獲得の方法として広がっていった。
 高根沢町域に残る「村明細帳」が伝える農間稼ぎは、3表の通りである。これによると、男は秣薪を取り、菰や莚を編み、縄ないをし、女は木綿布を織り、糸つむぎをしていたことがわかる。その中で関俣村と宝積寺村の男は駄賃付け稼ぎをしている。これは、この地域で産出する米や薪炭を、馬の背で産地から河岸問屋まで運送し、賃銭を得る仕事である。
 また、宝積寺村の男の舟引(曳)きは、荷物を積んだ舟が鬼怒川を上るとき、舟を曳き上げる人夫仕事である。用水堰や簗などが設置されている春から秋にかけては、舟の通運は少なかったから、舟曳きの仕事は晩秋から初春にかけて行われる農間稼ぎであった。舟曳きに用いられた綱は「とう竹」と呼ばれている竹の繊維をよりあわせたものである。
 このように農間稼ぎの内容は、その地域の地理的条件や社会経済的環境に深い関わりを持つものであった。年々増大していく現金支出を賄い得る現金収入を、農産物の販売だけでは得られなかったため、農業の合間を利用して余業稼ぎをする必要があったのである。
 男がする秣刈り、薪取り、菰・莚編み、縄ない、女がする木綿布織り、糸つむぎは、いずれも各農家において自家用の仕事として行われていたが、これらの仕事が農間余業として記述されているのは、それらの仕事が農家の自給用生産品という領域を越えて行われていたことを意味する。それらが現金収入をはかる手段になっていたのである。