地域名 | 購入製品の種類 | 買入金額 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
西根 | 種綿・綿実 | 2両 | 3分 | 352文 | ||
太田村 | 種綿・繰り綿・木綿織物・綿実 | 8両 | 1分 | 2朱 | 31貫 | 260文 |
栗ケ嶋村 | 木綿織物・糸 | 11貫 | 500文 | |||
桑窪村 | 木綿織物 | 3貫 | 50文 | |||
平田村 | 木綿織物 | 4貫 | 880文 | |||
台新田村 | 種綿・綿実 | 1分 | 4貫 | 92文 | ||
寺渡戸村 | 木綿織物・綿実 | 4貫 | 174文 | |||
赤堀新田 | 綿製品 | 2貫 | 275文 | |||
西高谷村 | 木綿織物・綿実 | 1両 | 1分 | 3貫 | 972文 | |
上金井 | 繰り綿・種綿 | 2両 | 1貫 | 465文 | ||
無記名 | 種綿・糸・綿実・繰り綿他 | 17両 | 1分 | 2朱 | 148貫 | 273文 |
出典:上高根沢 阿久津恵一家、元治2年「綿買入帳」(史料編Ⅱ・497頁)
注.西根・上金井は上高根沢村の大字
「糸つむぎと木綿布織り」は、綿栽培が普及するにつれて、女性の重要な農間余業となっていった。畑地の多い村では栗や稗、陸稲や芋類の作付けが主であったが、商品作物として綿が栽培されるようになると、種綿で販売するよりは、繰り綿として出荷した方が高く売れる。綿実は灯油の原料となるので無駄にならない。やがて繰り綿を糸に紡ぎ、その糸を使って木綿布に織り上げて販売するようになる。木綿布織りは、もともとどこの農家でも自家用のために行っていたものであった。これらの作業は、農閑期となる初冬から初春にかけて行われる。
元治二年(一八六五)、上高根沢村の阿久津家が購入した綿製品を高根沢町域の村別に示すと、5表の通りとなる。太田村からの買入が一番多く、次いで西根及び上金井(上高根沢村)である。また、太田村・栗ケ嶋村・桑窪村・平田村・寺渡戸村・西高谷村の各村では、綿製品として販売し、現金収入の手段としていた。その販売量は、木綿織物を総計すると六十反になり、その販売高は三両と百五十九貫十一文となる。高根沢町域の村々で生産されていた木綿織物も、一戸当たりの量はわずかであるが、村々のものを合わせれば相当な生産量となる。個々の農家にとってみればわずかな農間稼ぎではあるけれども、年間を通してみれば、農家にとって女性の余業稼ぎは、決して欠くことのできない現金収入であったのである。