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酒造鑑札の書き替え

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5図 辰巳屋酒蔵の鍵(宇津資料館蔵)

 上高根沢村の慶応四年(一八六八)八月「酒造鑑札書替願」(史料編Ⅱ・四八七頁)によると、上高根沢村組合大惣代でもあり、同村名主の権右衛門が病気のため、酒造鑑札書き替えについて、、同組合小惣代の道場宿村(現宇都宮市)名主長太夫と太田村名主清左衛門が連名で、酒造り・醤油造り・濁り酒造りについて、これまで通り願いたいという願書を出している。その後書に「酒造渡世」として、上高根沢村の半之助の古株酒造高五百石の醸造を記している。末尾には、慶応三年九月の「諸国酒造高三分の一造り令」を堅く守ることを、次のように書き添えている。
 
  (前略)酒造りについては、願い高の三分の一造りとし、濁り酒造りについては、決して正米を使用せず、粉米や掃寄米あるいは砕米をもって醸造し、お上の趣旨を堅く守る(後略)。
 
 この願書は、慶応四年八月二十五日付けで、新政府の民政裁判所へ提出されている。