宝暦十四年(一七六四)六月の「朝鮮種人参花壇拾ケ所並惣囲等御入用積帳」(史料編Ⅱ・四九二頁)によると、一つの圃場の規模は、長さ二間・横二間・深さ一尺二寸である。深さ一尺二寸のところへ、二つ割りにした唐竹を一面に敷き並べる。これは鼠やもぐらの害の予防のためである。圃場の北側二隅に長さ五尺・末口三寸の柱を建て、南側二隅に長さ四尺・末口三寸の柱を建てて、屋根をつける。屋根の下地は、長さ二間二尺・末口三寸の丸太をのせ、その上に長さ二間・幅四寸・厚み一寸の杉貫を張り、その上を杉皮で葺けば、屋根の完成である。
また、参実や参根の盗難防止のための花壇を取り巻く外囲いは、長さ八尺・末口三寸の柱を建て、長さ二間・幅四寸・厚み一寸の杉貫を横貫とし、そこへ唐竹目通り三寸廻りのものを、一間に二四本ずつ組み合わせて造っていた。
このように種子の播き付けまでには、かなりの手間と準備が必要で、しかもその管理は厳重を極めるものであった。参作人としても一定の資金がなければ、朝鮮種人参の栽培はできなかったのである。