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組合村の設置

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3図 高根沢の御改革組合村

 幕府は、文政十年(一八二七)あらためて取締り改革のお触れを示した。文政の改革と呼ばれている御改革組合村の創設に取り組むことになったのである。
 改革の内容は「上高根沢村最寄り組合三拾四か村取り替わす議定連印帳」のなかにこまかく記されている(史料編Ⅱ・六八六頁~)。議定連印帳は、前文と後文からなる四十か条を越す長文のお触れの申し渡しに、その末尾に各村役人が遵守の誓約連印をしたものである。
 前半の部分には、まず「無宿共、長脇差しを帯し、在々所々において狼藉に及ぶ」と悪党取締りの趣旨を述べ、このお触れを、小前末々のものまで村役人から読み聞かせてきっと守らせることを命じた。次いで、神事・祭礼・婚礼・仏事等の冠婚葬祭を質素倹約第一にすること、在々の歌舞伎・手踊り・操り芝居・相撲その外すべて人寄せがましき行事の禁止、また「農家にて商売をいたし候は宜しからざることにつき、新規に商いを始めることは勿論、前々からの商いもおいおい止めさせること」を命じている。
 四十か条にわたる後半の部分では、まず「今般、改めて組合村を相立て候」と、組合村の設置を命じている。
 組合村は、一部の地域を除いた関東全域にわたって領主に関係なく村々を組み合わせ組織するのが原則であった。まず近隣の三~六か村を組み合わせて小組合村とし、数個の小組合村を組み合わせておよそ四、五十か村をもって大組合村をつくった。小組合村からは小総代をえらんでその統括者にし、大組合村には小総代から数人を選んで大総代をおいて大組合村の運営にあたらせることにした。また、石高の大きな有力な村を組合村寄場として、そこの名主を寄場役人とした。寄場役人が出役からの命令を受けたときは、大総代・小総代を通じて組合村の全村民に指示を伝える仕組みを作ったのである。
 高根沢における組合村をみてみると、前頁3図のように、奥州道中の氏家宿・白沢宿を寄場とする「氏家・白沢両宿最寄り組合」に七か村が、上高根沢村を寄場とする「上高根沢最寄り組合」に十二か村が、また喜連川宿を寄場とする「喜連川最寄り組合」に二か村が組み込まれていた。
 氏家・白沢両宿最寄り組合は、四十二か村、合計村高が約二万石で、九つの小組合に別れていた(史料編Ⅱ・六九七頁)。
 この高根沢の村々のうち、上高根沢最寄り組合の十二か村には、一橋領のほかに天領・旗本領の組み合わせになっていたが、氏家・白沢両宿最寄り組合の七か村はすべて宇都宮藩領に属し、喜連川最寄り組合の二か村とも喜連川藩領であった。組合村の組み合わせには、実際は領主の違いも影響していたのであろう。
 
2表 高根沢の組合村と領知
氏家・白沢宿最寄組合1 上阿久津村(宇都宮藩領)2 中阿久津村(宇都宮藩領)
3 宝積寺村 (宇都宮藩領)4 大谷村 (宇都宮藩領)
5 関俣村 (宇都宮藩領)6 石末村 (宇都宮藩領)
7 赤堀新田 (宇都宮藩領)8 土室村 (宇都宮藩領)
上高根沢最寄組合9 上高根沢村(一橋領)10 前高谷村 (代官支配所)
11 西高谷村 (代官支配所)12 平田村 (代官支配所)
13 太田村 (代官支配所)14 寺渡戸村 (代官支配所)
15 栗ケ島村 (代官支配所)16 桑窪村 (一橋領)
17 上柏崎村 (代官支配所)18 亀梨村 (代官支配所)
19 下柏崎村(佐倉領・旗本)20 中柏崎村 (旗本知行所)
喜連川最寄組合21 伏久村 (喜連川領)22 文挟村 (喜連川領)

注.番号は、前頁組合村地図上の数字に同じ。