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治安の維持と風俗の取締り

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4図 戦後まで使われていた伏久の人形浄瑠璃の頭

 文政の改革、組合村編成の目的は、無宿等の取締りにより治安を確保することにあった。文政十年の長文の改革のお触れの中でも重要な点は、先ず第一に村方を徘徊する無宿・渡世人など多様な無法人を取り締まることにあった。第二に、都市の文化に影響されて華美となっている神事・祭礼・婚礼など行事の簡素化であり、また在々の歌舞伎・手踊り・相撲や芝居といった大勢の人が集まる娯楽も、奢りの現れであるとし禁止することであった。困窮を理由に救済を願いながら、一方で派手な年中行事などは容認できなかったのであろう。そして第三に、このような華美も奢りも、元はといえば百姓が商業に従事するようになったからであり、そこから改革では農間余業の取締り方針も必要となった。
 高根沢においても、かつては華麗な催事が行われていたようで、写真に見るように、今に残る人形の頭にもその名残を想像することができる。
 天保十二年(一八四一)柏崎村から組合村小総代の名主と寄場のある上高根沢村に提出した一札がある。地踊り芝居を催すとの風聞について小総代を通じてお尋ねがあり、それに対する柏崎村からの回答である。一札は次のようにいっている。地踊り芝居については前々から計画もあったが、改革取締り趣意に違反してはと考えて控えていた。ただ、先月は初午の祭りのために村人が前夜からお日待ち祭礼をしていたものが誤解された、と言い訳をし、決して違反はしないと詫びているのである(史料編Ⅱ・七〇〇頁)。
 改革は、農民の日常生活にも、また従来からの年中行事にも影響を与えていた。