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熊野から高野へ

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 伊勢参詣の次は観音霊場として有名な熊野三所権現参詣とそれに続く西国三十三所巡礼である。伊勢から東熊野街道をとり野後へ着く。ここには伊勢神宮の別宮という滝原大神宮を参詣、これから枡が一升ではなく八合になったという。八合枡という言い方が道中記のなかで数回でてくるので、これは珍しかったに違いない。
 六月二十三日、熊野新宮を経て、夕方西国三十三所巡礼の壱番札所・那智山一の滝青岸渡寺の千手観音に詣で、宿坊に泊まる。伊勢から青岸渡寺まで道程四十里二十三町。二十四日大雲取山、小雲取山、道程八里の難所を越えて熊野本宮を参拝、湯乃峰の温泉宿に二十五日まで逗留した。二十六日、逢坂峰を越えて田辺へでる。田辺で険しい山路を越えた祝いに旅籠で搗いている「弁慶力もち」で、汁粉の昼食をとる。海岸沿いに熊野街道を北上、二十八日安珍・清姫で有名な道成寺(金まき寺)に参詣。二十九日は第二番札所紀三井寺に参詣の後、船で和歌の浦を見物し、和歌山泊。六月三十日は有田川をさかのぼり第三番札所粉河寺に参詣、志賀に泊まる。ここから枡が八合枡から京枡に変わった。七月一日花坂まで来ると、高野山北の坊から迎の案内人が来て、金剛峰寺から奥の院に参詣、北坊の宿舎に泊まる。熊野から高野山まで道程四十四里九町。翌朝、寺院七百五十、商人職人の家二、三百戸で賑わう高野山を立ち、第四番札所槇尾寺(施副寺)に詣で、和泉の堺着。町の入口から出口まで一里三町という規模の大きさに驚嘆している。

4図 畿内の巡礼路
出典:筑摩書房「江戸時代図誌3大阪」より