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帰国の道中

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 八月一日は一の宮から名古屋を通り熱田神宮へ詣で泊。姫路から名古屋まで百十四里三十二町。それからは東海道をくだり新居の「天下の御番所」を通り、浜松、掛川ときて金谷で大井川を渡る。蒲原で富士川を渡り名物白酒を馳走になり、八月六日沼津に泊。七日は三重二十九丁の坂を登って箱根の「天下の御番所」を越え、はたの茶屋泊。八日小田原へ下って来て、名物「ういろう」を味わう。大磯をすぎた藤沢では一遍上人の開いた時宗の総本山清浄光寺(遊行寺)に詣で、ついで江ノ島の弁財天。下宮、上宮、奥の院を拝し、鎌倉八幡宮も参詣、戸塚へでて泊まる。八月九日川崎から品川へ入る。愛宕山へ登ると、江戸中が見え「天下様お城」も見えたという。江戸へ入って日本橋小伝馬町幸手屋藤兵衛方に泊まる。名古屋から江戸まで八十九里二十六町。十、十一日は上野薬師、不忍池の弁財天、浅草観音などに詣で、千住から越谷を通って幸手で泊。十二日は栗橋の「天下の御番所」を通り、利根川を渡って石橋に泊まり、十三日無事宝積寺に「下向仕申候」で道中覚は終わっている。
 総里程六百四十四里(約二、五三〇キロメートル)、五月二十五日から八月十三日まで七十八日間の大旅行だったが、記載された総費用は一両二分七百五十文、内訳、宿賃一貫百五十八文、米代二貫八百八十一文、寺社への布施・奉納金八百八十文、小遣い一分五百三十三文、茛物一貫六百三十一文であった。帰ってから旅の話をどのように講仲間に伝えたかは、史料がなく分からない。しかし、巡礼行で得た豊富な見聞と経験は事細かに、繰返し語られ、人々の知識となっていったのであろう。