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東征軍と世直し

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 宇都宮藩の要求で新政府軍の香川敬三が下野国に入る前、三月から四月にかけて宇都宮周辺は激しい世直しの嵐が吹きあれていた。池田輝知家記には「宇都宮四方三四里ノ間、土民動揺シテ、所々ニ屯集シ、屋ヲ摧キ、火ヲ放チ乱暴至ラザル所ナシ、宇都宮内外ノ患ニ困弊シテ、官軍ノ入場ヲ促ス事頻リナリ」(『復古記』第十一巻)とあるように幕府支配の末期を示すように農民騒動が各地に起った。一揆は新政府軍の北方に呼応する形で展開され、高根沢付近は世直し一揆の影響をうけた地域である。四月四日夜から翌朝にかけて真岡町に激しい打ちこわしが勃発した。参加者は最初三〇〇人ほどで、質屋、穀屋、木綿問屋など一八軒を打ちこわし、更に周辺に拡大した。一揆勢は北進し、祖母井、高根沢方面の豪農、豪商を襲った。一揆勢が要求した金穀をみると次のようである(芳賀町 細川家文書)。
 
     覚              姥ケ井   町田久右衛門
  氷室村   氷室新右衛門            天満屋利右衛門
  下高根沢村 斎藤十内              横堀孫右衛門
        杉田勘左衛門       太田村  見目清左衛門
         宮           同 村  久右衛門
     降参 糸屋半兵衛、奥州屋仙次    降参 稲毛田村
     降参 迎戸                 金百両 細川太郎左衛門
         金千両(阿久津半之助        米百俵
         米千俵(日野屋            居村江差出
     降参 西根             降参 中柏崎村
         金千両(宇津権右衛門        金二百両 矢口長右衛門
         米千俵(辰己屋           米二百俵
     降参 般若塚            降参 梶内
         金七百両(黒崎治郎右衛門      金百両 螺良源右衛門
         米五百俵(天満屋          米百俵
   八ツ木村 小堀庄兵衛             日下田
   栗ヶ島村 矢野九平               前同断 黒崎太左衛門
 
 一揆勢によって攻撃目標とされたのは、いずれも一〇〇町歩規模の大地主の家である。これらの家と一揆勢との間には話し合いもなされ、要求を拒否した家は一揆勢の乱入にあい打ち壊されているが、要求に屈して降参し、金穀を差し出すことを承諾して、打ちこわしを免れた家もあった。

図4 野州中央部の打ちこわし(慶応4年3~4月)

長谷川伸三「慶応期野州中央部の農村闘争」大町雅美・長谷川伸三編著『幕末の農民一揆』(138頁)の地図を一部修正。