宇都宮県は、旧宇都宮城の城郭内に仮庁舎を設けたが庁舎は一棟で手狭になり、そのうえ陸軍省は東京鎮台兵屯所を城内に設置するため、県庁の立退きを要求した。やむなく翌五年六月一八日、県は庁舎を西原村の安養寺に移転したが、ここも手狭なため、宇都宮城の外郭内に新築して、落成届を明治六年一月三一日付で大蔵省に出している。
廃藩置県後の県の統治は大区、小区という新しい体制で行われた。日光県は早い段階の明治四年六月に五部七五区の区画を制定した。高根沢町域は那須、塩谷地区で第五部となり、掛官員は渡辺権大属、野中権少属、本多淮史生で太田村外九か村が第五部六二区、飯室村外一三か村が六三区に入っていた。太田村外九か村をみると六一区(『県史』には六二区とある。矢板市成田・川上豊氏所蔵の御用留による)で表2のように太田、上高根沢、平田、前高谷、西高谷、寺渡戸、桑窪、栗ヶ島、中柏崎、下柏崎の一〇か村よりなっており、大惣代には太田村の見目清作があたっていた。新しい支配体制は明治四年の廃藩置県以降徐々に、また確実に歩みはじめた。
表2 第61区村々役人名前(明治4年11月)
名主 | 組頭 | 百姓代 | |
太田村 | 見目清作 | 加藤多平 加藤善吉 | 田代吉平 薄井源四郎 |
上高根沢村 | 宇津薫造 | 佐間田孝作 小堀善作 高瀬九内 赤羽吉郎平 | 岩本與四郎 野中伊三郎 床井七平 |
平田村 | 加藤勝一郎 | 古郡寛一 鈴木瀬一郎 手塚七郎平 加藤東十郎 | 鈴木亀一郎 加藤富三郎 加藤源重郎 |
前高谷村 | 鈴木源重郎 | 鈴木仁平 小林啓斉 荒井政十郎 | 荒井清三郎 菅俣久吾 |
西高谷村 | 鈴木重郎平 | 鈴木金作 | 山本惣七 |
寺渡戸村 | 見目清作 | 岩原孫平 岩原孫作 | 山本為三郎 |
桑窪村 | 矢口九内 | 鈴木新一郎 鈴木平重 | 鈴木藤吉 斉藤源吉 |
栗ヶ島村 | 横須賀粂三郎 | 黒崎惣平 古郡弥平 横須賀柳七 | 横須賀佐吉 木村孫八 坂本市三郎 |
中柏崎村 | 矢口藤七 | 小林源三 | 小林藤三郎 |
下柏崎村 | 鈴木源一郎 | 大森又三郎 | 大森孫四郎 |
史料編Ⅲ・17頁