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宇都宮県の大区、小区

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 明治政府の地方行政の新方針は、明治四年以降徐々に町村にも及び大区小区制とよばれる新体制が誕生した。第一に着手したのが戸籍法で、徳川時代の身分別による戸籍編成を廃して住所主義による戸籍編成の移行である。すなわち、戸籍を通じて住民を把握しようとした政策である。そのために、従来の七、八村を合併した区を設定し、戸籍役人に戸長、副戸長をおいた。戸長らは戸籍事務だけでなく幅広く地域全体の事務も取り扱うようになった。
 ところで宇都宮県は明治五年(一八七二)大区、小区を設定しようとして権大属安藤泰愛を芳賀、那須両郡に、権少属立岩至徳を河内・塩谷両郡に派遣し、各村々を巡回させて地勢、実際の便否をはかり分区の目標をたてた。さらに、次のような区画制定と戸長設置の件を大蔵省に提出している(『栃木県史』史料編近現代一・一一七頁)。
 
  一、管下四郡分区ノ儀、五百戸ヲ以テ一区ト定メ、戸長一員・副二員ヲ置ク、別ニ里正ヲ置カズ、区内ノ事務一切取扱ハセ苦シカラズ侯哉
  一、戸長月給八円、副四円給与候テ然ルヘキ哉
 
 一定の順序を経て宇都宮県は明治五年三月七日、四郡を七大区七六小区とし、一小区ごとに戸長一名、副戸長二名を配置した。本町域の各村は宝積寺村外一三ヶ村が第五大区一小区、中阿久津村と上阿久津村が第五大区二区に、大谷村外七か村が第五大区三区に配置されている(表3)。
 区画制定と同じような意味をもつ戸長設置事務内容について、県は三月に「戸長副事務取扱規則」を出している。そこには「重な諸願伺、訴訟ならびに一村一区に関する件」など村内の事務一切を取扱うようになっており、単なる戸籍のみの役人ではなかった。この制度は政府が地方制度として体系的に作りあげたものでなく、宇都宮県にみられるように大蔵省に伺い出て政府が認めるといったように、まさに「府県知事と中央政府の合体の産物」であった(大島美智子著『明治のむら』)。
 
表3 第5大区4小区・2小区・3小区の村名と正副戸長(明治5年)
大小区村宿名小区
戸数
正副
戸長
住所氏名
 第5大区
 1小区
宝積寺、石末、柳林、赤堀新田、
上高根沢、栗ヶ島、寺渡戸、
西高谷、平田、太田、桑窪、
中柏崎、下柏崎、上柏崎
609


 太田村
 平田村
 中柏崎村
 見目清作
 古部寛一
 矢口長右衛門
 第5大区
 2小区
中阿久津、上阿久津、富野岡新
田、長窪新田、馬場、氏家宿、
桜野、氏家新田
614

 大田原
 氏家宿
 上阿久津村
 藤田吉亨
 村上謙吉
 若目田与市
 第5大区
 3小区
大谷、上野新田、関俣、前高谷、
上柏崎、亀梨、飯室
、松山、
柿木沢、柿木沢新田、狭間田、
狭間田新田、松山新田、谷中新
田、根本新田、文挾、鍛冶ケ
沢、葛城、平三郎、伏久
591
 飯室村
 大谷村
 鈴木良一
 阿久津勝舎

注 下線は高根沢町域内、戸長は明治6年による
『栃木県史』史料編近現代1・125、126頁より作成