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寺子屋と私塾

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 明治五年の学制公布以前、庶民の教育機関として開かれていたのが、寺子屋・私塾であった。
 寺子屋は、手習い師匠と呼ばれる教師が、寺子・筆子・手習子などと呼ばれる生徒を指導するもので、教育内容は、日常生活に必要な読み・書き・そろばんなどやさしいものであった。手習いは「いろは」からはじまり、それが終わると「往来物」(手紙文)などを学んだ。入門の年齢は一般に六~七歳ごろで、それから約四~五年間通学した。
 私塾は、諸学の学者が自宅に教場を設け、寺子屋を修了した好学の者に、儒学・国学・洋学などの高等教育を施したものである。
 本町域の私塾は、旧一橋領上高根沢村にあった「誠修館」一校のみとされている(『日本教育史資料』第八巻)。この学校は嘉永年間(一八四八~一八五四)に開業し、慶応元年(一八六五)ごろに隆盛をむかえ、漢学・算術・筆道を伝授した。そして塾生(先生)は医者である宇津廣之進、生徒数は男七五人・女二五人であったという。しかし、「……宇津廣之進の博愛館・佐久間某の誠修館が開かれ……」と記されたものもあり(『栃木県の地名』平凡社)、『日本教育史資料』とは異なった記述になっている。
 本町域の寺子屋については、『日本教育史資料』には一校も記されていないが、表8のように、「誠修館」を含め、八校が存在していたことが記されている本もある(『栃木県教育史』第二巻)。
 もっとも当書では、寺子屋・私塾の区別が難しいせいか、一括して記されている。
 なお、前記の宇津廣之進が開設した学校は、「私立公学開業願い」の学校名称の記述から、「博愛館」と称していたものと思われる(史料編Ⅲ・一〇一八頁)。
 
表8 寺子屋・私塾一覧
寺子屋名位置
 博愛館 上高根沢村
 誠修館 上高根沢村
 関俣館 花岡
 谷口塾 桑窪
 小林塾 花岡
 青木塾 阿久津村
 坂本塾 熟田村
 大安寺 桑窪