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校舎の確保

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 第三番支校大谷村に設立された小学校「積善館」は、「学校は、まず寺院その他不用の家屋を使って設立すること」(明治六年二月『宇都宮県学校設立方法』)に基づいて、校舎については廃寺を仮校舎にあて、次のように開校した。
 
 「一、開校
   明治六年五月九日、廃寺正善寺を仮校舎にあて開校した。学区取締の清水貫一、本郡氏家宿第九番小学開明館に在勤中の訓導 米津確、該校に在勤の少訓導 阿久津楊平、副戸長 阿久津勝、舎学事世話方 阿久津喜八郎などが参列してその式を行い、校名を積善館と称した。
  二、職員
   小訓導 阿久津楊平
 三、生徒
 同年一二月現在二五名
(『大谷尋常小学校沿革史』中央小学校文書)
 
また、文挾村に設立された早修舎も、
 
 そもそも本校は、明治六年七月の創設であり、早修舎と称し、文挾村の広蔵寺を仮校舎として教授した。
(『文挾尋常小学校 学校沿革史』北小学校文書)
 
とあり、校舎については文挾小学校も同様であった。
 明治六~七年に高根沢町域に開校した公立小学校は九校あるが、そのうち寺院を借用したのは表9によると七校とのことである。
 しかしながら太田村に開校した恭修館は、表9では新築家屋と記されているが、「その当時は大字太田宝泉寺を借用せり。明治三四年七月一日、新築落成し移転す」と書かれている本もあり(田代善吉著『栃木懸史』巻六・教育)、明確なことは分からない。
 文部省は新築の学校建築を奨励したが、これが当初の実態であった。

図11 花岡 地蔵寺

表9 開校した公立小学校一覧
学校名位置設立教員生徒数新築
旧屋
公有
借用
授業料主者(学長)
男子女子
早修舎
勧善社
積善舎
啓倫舎
上高根沢舎
恭修舎
克明舎
告成舎
関俣館
文挾村
伏久村
大谷村
宝積寺村
上高根沢村
太田村
中柏崎村
亀梨村
関俣村
明治6
  7
  6
  7
  6
  6
  6
  7
  7
1
1
1
1
2
3
3
2
1
45
20
48
85
97
132
65
43
29
 4
 2
12
15
62
149
 33
 44
 5
寺院
寺院
寺院
寺院
民家
新築
寺院
寺院
寺院
借用
借用
借用
借用
借用
公有
借用
借用
借用








鈴木貞一郎
篠崎清吾
阿久津嘉一郎
小池太郎平
宇塚五郎
加藤東十郎
鈴木左重
鈴木七郎平
岡本又四良

 『文部省年報 明治7年・8年』より作成
 

図12 文挾 広蔵寺