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きびしい学費の取り立て

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 しかし、現実は厳しいものであった。表10は、明治六年六月、亀梨村の学校費をその等級別に分けたものである。家を二~五の四等級に分け、二二の家から取り立てている。
 また表11は、明治六年、亀梨村の学校に係わる取り立てを、家ごとにまとめたものである。
 前記の学校費のほかに、六月一八日に「月給並びに定額費割」を、八月二八日に「二月~八月まで正副出庁旅費並びに七月より八月一五日まで定額費割」を、一〇月七日には「七月より九月まで旧月給並びに定額費割」と次々に取り立てている。中には「一厘八毛」・「五厘一毛」など、一銭にも満たない金額を取り立てられている家もある。特に「S」の家は「潰れ」と記されており、その厳しさがうかがえる。
 明治八年に制定された小学教則の第一〇条「授業料」も、学制の規定により次のように大幅に減額され、
 
   授業料は上・中・下の三等に分け、上を一か月金五銭とし、中を同四銭、下を同三銭とする。……地方の状況により、授業料を徴収しないこと、あるいは事情をくんで増減するなど、全てその地方の判断に任せる……
 
と規定された。
 本町域で、明治六~七年に開校した公立小学校九校のうち、授業料を徴収したのは、表9のとおり文挾村の早修舎と亀梨村の告成舎の二校とされている。しかし、早修舎の取調べ書には「授業料はない」と記されており(史料編Ⅲ・一〇二四頁)、また告成舎の「開学伺書」の費用の部分にも授業料が記されていない(史料編Ⅲ・一〇一五頁)。このようなことから、人々の負担を考慮し、開学当初はすべての学校で授業料は徴収しなかったと思われる。
 
表10 学校費請取
等級金額家数
2
3
4
5
10銭 厘
7   
5   
2  5 
2軒
7 
8 
5 
20銭 厘
49   
40   
12  5 
総計22 1円21銭 5厘

『栃木県公立小学校月報表(明治13年)』
太田 見目清三家文書より作成
 
表11 明治6年亀梨村学校関係諸取り立て金額
  
月給并定額費割
(6月18日取立)
2月~8月迄正副出庁旅費
并7月より8月15日迄定額費割
(8月28日持参)
7月より9月迄
旧月給并定額費割
(10月7日上納)
備考
A7 銭 5厘 8毛2 銭 厘 2毛7 銭 2厘 7毛
B
C
8  2  4  
7  6  5  
2     5  
2     4  
7  9    
7  3  3  
D
E
F
G
H
I
J
18  6  2  
11  6  4  
46  6  2  
14  2  2  
13  9    
12  9  2  
15  6  5  
5  8  9  
3  4  1  
15  7  2  
4  3  5  
4  2  3  
3  8  9  
4  8  6  
17  9    
11  1  9  
44  8  9  
13  6  9  
13  3  5  
12  4  1  
15     4  
K
L
M
N
O
P
Q
R
6  5    
7  2  4  
6 (虫)  3  
12  4  9  
13  8  3  
10  3  3  
   5  2  
7  2  6  
1  6  4  
1  9    
1  7  2  
3  7  4  
4  8  1  
5  9  8  
1  8  
2  5  5  
6  2  3  
6  9  4  
6  4  5  
11  9  8  
13  2  9  
9  9  1  
5  1  
7      
S
T
U
V
W
5  5  
27  3    
5  9  2  
5  7  1  
        
1  9  
9  1    
1  4  4  
1  3  6  
        
   5  3  
27  3  6  
5  6  7  
5  4  6  
5  4  6  
潰れ
2円63銭 2厘 9毛83銭   7毛2円57銭 7厘 6毛

亀梨 鈴木重良家文書より作成